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蔵書 › 毛沢東選集 第五巻 › 社会主義革命と社会主義建設の時期(一)

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革命の促進派になろう

毛沢東 · 一九五七年十月九日

縦書きで読む毛沢東選集第五巻

革命の促進派になろう

(一九五七年十月九日)

これは、毛沢東同志が中国共産党第八期中央委員会第三回拡大総会でおこなった講話である。

こんどの会議はひじょうによかった。省委員会、地区委員会の同志も参加したこのような中央委員会拡大総会は、実際には三クラスの幹部の会議である。それは、方針の明確化、経験の交流、意志の統一に役立つ。

このような会議は、一年に一回ひらく必要があるだろう。わが国のような大きな国では、仕事がひじょうに複雑だからである。昨年一年はひらかなかったため、右よりの傾向があらわれて、えらい目にあった。一昨年はもりあがりをみせたが、昨年はたるみが出た。もっとも、昨年は第八回党大会をひらいたので、時間もなかったのだ。今後、このような会議をひらくときには、少数の県委員会書記や一部大都市の若干名の区委員会書記を参加させてもよい。たとえば、あと百人ぐらいふやしてもよかろう。各省でも、全省的規模の三クラスまたは四クラスの幹部の会議をひらき、一部の協同組合の幹部も参加させて、問題がはっきりするまで話しあうよう提案する。これが第一点である。

第二点、政府についてのべよう。大胆に放をさせ、徹底的に放をさせ、断固として放をさせなくてはならず、大胆に改め、徹底的に改め、断固として改めなくてはならない。われわれには、このような決心がなくてはならない。では、さらに反右派闘争をくわえて、大いに右派に反対する必要があるだろうか。それはくわえなくてもよい。なぜなら反右派は軌道にのっており、一部のところではもう終わっているからである。いまの重点は基層組織で放をさせ、基層組織で改めること、つまり県、区、郷の三段階における鳴放と整頓・改革である。中央と省・市段階でも、一部の部門では、やはり放をさせなければならないが、重点は改めることにある。

ことしは、大衆が二楠の革命形態、大衆闘争の形態を考えだした。大鳴、大放、大弁論、大字報というのがそれである。いま、われわれの革命は、その内容にまことに通した形式をさがしあてた。このような形式は、以前には現われえなかったものである。以前は戦争、五大運動〔1〕、三大改造①といったものなので、このようにじっくりと弁論する形式はうまれえなかった。当時は、じっくりと弁論し、事実をならべ、道理を説き、これを一年間もつづけるというようなことは、許されなかったのである。いまでは、それができる。われわれのさがしあてたこの形式は、現在の大衆闘争の内容に適しており、現在の階級闘争の内容に適しており、人民内部の矛盾に属する問題を正しく処理するのに適している。この形式をしっかりつかめば、これからのことはずっとやりやすくなる。原則的な是非の問題にしろ非原則的な是非の問題にしろ、また革命の問題にしろ建設の問題にしろ、みなこの嶋放、弁論の形式で解決でき、しかも比較的はやく解決することができる。左派は中間派といっしょに鳴放、弁論しているばかりでなく、まったく公然と、右派といっしょに鳴放、弁論し、農村では地主、富農といっしょに鳴放、弁論している。「一党の天下」とか、「共産党は政権をゆずれ」とか、「かごから降りろ」とか、こうした言い草を公然と新聞に載せており、「恥」をかくのを恐れない。われわれはいましがた「かごに乗った」ばかりなのに、右派は「かごから降りろ」と追っている。このような大鳴、大放、大弁論、大字報の形式は、大衆の主動性を発揮させ、大衆の責任感を強めるのにもっとも適している。

わが党には民主の伝統がある。民主の伝統がなければ、このような大鳴大放、大論争大弁論、大字報をうけいれることはできなかったであろう。延安での整風のときは、七、八人が一つのグループになって、数ヵ月間、ノートをつくり、自分で反省し、たがいに助けあった。わたしの接触した人はみな、あのときの整風に感謝しており、主観主義を改めるようになったのはそのときからだと言っている。土地改革のときは、事あるごとに大衆と相談し、意志の疎通をはかった。われわれの軍隊では、中隊長が兵士たちにふとんをかけてやり、まったく平等に、友情をこめて兵士と語りあった。延安での整風、土地改革、軍隊での民主生活、それに「三査三整」〔2〕、そのあとの「三反」「五反」、知識分子の思想改造など、どの過程でも豊富な民主の形式がうまれた。だが、こんどのように大鳴、大放、大論争、大弁論をくりひろげ、そのあと、なおおだやかな方法で相談し、啓発するというこの形式は、いまの時点ではじめてうまれえたのである。このような形式をさがしあてたことは、われわれの事業にとって大いに有益であり、主観主義、官僚主義、命令主義(命令主義とは、人をなぐったり、ののしったりして、強制的にやらせること)を克服すること、指導的幹部が大衆とうちとけるということも、容易にやれるようになった。

われわれの民主的伝統は、ことし、ひじょうに大きな発展をみたが、今後は大鳴、大放、大弁論、大字報という形式を伝えていかなくてはならない。このような形式は、社会主義の民主を十分に発揚するものである。このような民主は、社会主義国にのみ存在しうるもので、資本主義国には存在しえない。このような民主の基礎の上では、集中が弱められるのではなく、集中制がいっそう強固となり、プロレタリア階級独裁がいっそう強化される。なぜなら、プロレタリア階級独裁は広範な同盟軍に依拠しなければならず、プロレタリア階級という一つの階級だけではやっていけないからである。中国のプロレタリア階級は人数が少なく、一千万人余りしかいないため、数億にのぼる貧農、下層中農、都市の貧民、貧しい手工業者、革命的知識分子に依拠してこそ、独裁を実行しうるのであり、さもなければそれは不可能である。いま、われわれがかれらの積極性を発揮させたため、プロレタリア階級独裁は強固になったのである。

第三点、農業について。農業発展要綱四十ヵ条はすでに改正され、まもなく公表されるであろう。同志諸君は、ひとつ、農村で弁論と討議をりっぱに組織してもらいたい。わたしは一部の同志に、地区段階では農業計画をたてる必要があるかどうか、とたずねてみた。すると、やはりその必要がある、という答えであった。区段階ではその必要があるがどうか。やはり必要がある、ということであった。郷ではその必要があるかどうか。それも必要があるとのことであった。協同組合もやはりその必要がある。そうすると、省、地区、県、区、郷、協同組合の六段階で計画をたてることになる。諸君はこの農業企画の作成にしっかり力をいれることを重視してもらいたい。企画と計画は同じことで、つかいなれてしまえば、企画と言ってもよい。あくまでも全面的に企画し、指導を強化し、書記みずからとりくみ、全党で組合づくりにあたるようにしなくてはならない。昨年の後半は、全党で組合づくりにあたるのではなかったし、書記もみずからとりくむことをあまりしなかったようだ。今年は、あくまでもこのようにやらなくてはならない。

企画は、いったい、いつ頃までにできあがるだろうか。何人かの同志にたずねてみたところ、一部の地方ではすでにできあがっており、一部の地方ではまだ完全にはできあがっていないとのことである。いまの重点は皆、地区、県の三段階にあるが、今年の冬または来年の春までにできあがるだろうか。もしできないとしても、来年じゅうにはどうしてもつくりあげなくてはならず、しかも六段階ともつくりあげなくてはならない。なぜなら、われわれには数年の経験があるし、全国農業発展要綱四十ヵ条もほぼできあがっているからである。農業発展要綱四十ヵ条、省の企画、その他各段階の企画は、どれも農村へもっていって討議させなくてはならない。しかし、七つの企画をいちどに討議するのではあまりにも多すぎる、やはり何回かにわけて大衆のなかへもちこみ、鳴放と弁論をさせるようにしなくてはならない。ここで言っているのは長期的な企画のことである。つくったとしても、将来、通さなくなったらどうするか。さらに何年かの経験をつむと、また手直しをしなくてはならない。たとえば「四十ヵ条」は、何年かたてば、やはり手直しをしなくてはならない。手直しをしないというわけにはいかないのだ。わたしの見るところ、だいたい三年に一回小幅の手直しをし、五年に一回大幅の手直しをすることになろう。とにかく、企画のあるほうが、ないよりもましだ。全部で十二年だが、もう二年過ぎたから、あと十年しかない。このうえしっかりと取りくまないでいたら、「四十ヵ条」に定めた二種類の地区の畝ムーあたり収量それぞれ四百斤チン、五百斤、八百斤という計画目標は、見込みはずれとなるおそれがある。しっかりと取りくめれば、達成されるであろう。

わたしの見るところ、中国はともかく集約農法で飯を食うことである。将来、中国は世界一の多収穫国にならなければならない。ある県ではすでに畝あたり千斤に達しているが、半世紀で二千斤に高めるわけにはいかないだろうか。将来、黄河以北は畝あたり八百斤、淮河以北は千斤、淮河以南は二千斤ということにしたらどうだろう。二一世紀の初頭にこの目標を達成するまでには、まだ数十年あり、あるいはそんなに長い期間を必要としないかもしれない。われわれは集約農法で飯を食うのだから、すこしくらい人間が多くても、食うには困らない。わたしの見るところ、一人平均三畝では土地が多すぎる、将来はわずか何分かの土地があれば十分に食っていけると思う。もちろん、産児制限はやはりやらなくてはならず、子供を生むように奨励しているわけではない。

同志諸君は、農民の食糧消費の実状を調べてもらいたい。勤倹の精神で家計をきりもりし、食糧を節約して、蓄積をはかるよう、提唱しなくてはならない。国に蓄積があり、協同組合に蓄積があり、家庭に蓄積がある――この三種の蓄積があれば、われわれは豊かになる。そうではなくて、のこらず食べてしまったら、どうして豊かになるだろうか。

ことし、豊作であった地方、災害のなかった地方では、すべて蓄積をすこしふやすべきである。豊作で凶作を補うというのは、たいへん必要なことである。ある省の協同組合では、公共積立金(五パーセント)、公益金(五パーセント)、管理費のほかに、生産費が総生産額の二〇パーセントを占めているが、そのうち基本建設費が生産費の二○パーセントを占めている。他の省の同志と相談してみたところ、基本建設費がすこし多すぎるようだと言っていた。きょうの話はみな提案の性質をおびたもので、やれるところでは実行し、やれないところでは実行しなくてもよい、また、各省各県は一律であってはならない。諸君が検討してくれたらよい。これまで、一部の地方では、協同組合の管理費の占める比率が大きすぎたから、一パーセントにまで減らすべきである。管理費とは、協同組合の幹部への手当と事務費をさす。管理費を減らし、農地基本建設費をふやすべきである。

中国人は気概がなくてはならない。われわれは全国の都市と農村のひとりひとりにたいし、遠大な目標をもて、気概がなくてはならぬ、と教育すべきである。大いに食い、大いに飲んで、のこらず飲み食いしてしまう、これを一種の気概と言えるだろうか。そんなものは気概とは言えない。勤倹の精神で家計をきりもりし、遠い先のことまで考えなくてはならない。嫁とりや葬儀など、慶弔の行事とかで豪勢な宴席をもうけるのは、まったく不必要なことである。こうした点で節約をすべきであり、浪費をしてはならない。これはふるい慣習を改めることである。この慣習を改めるには、大鳴大放、もしかすると小鳴小放かもしれぬが、それによってひとつ論争をしなくてはならない。それから、賭博とばくというような問題も、以前は禁止しようがなかった。これは、大鳴大放し、論争を経てのみ、はじめて改めることができるのである。ふるい慣習を改めることも企画のなかに組みいれなければならないとおもう。

それから、四害を退治し、衛生に注意するという問題がある。ネズミ、スズメ、ハエ、蚊というこの四つのものを一掃することに、わたしはひじょうに意をそそいでいる。あと十年しかないが、今年は準備し、動員をしておいて、来年の春にやるというわけにはいかないだろうか。ハエはそのころに発生するからである。やはりこういったものを一掃し、国ぜんたいが大いに衛生に注意するようになるべきだとおもう。これが文化というもので、この文化を大いに高めなくてはならないのだ。競争をくりひろげて、ぜひともこれらのものを一掃し、だれもが清潔で、衛生に気をくばるようにならなくてはならない。各省、各県ででこぼこがあってもよい。どのみち、どこが英雄であるかをみるのである。中国は、一にネズミがいない、二にスズメがいない、二にハエがいない、四に蚊がいない、という四無の国にならなくてはならない。

計画出産も、十年の計画をたてるべきである。少数民族地区ではおし広めてはならず、人口の少ない地方でもおし広めてはならない。たとえ人口の多い地方でも、まず試験的にやってみて、逐次おし広め、しだいに全面的な計画出産にもっていくべきである。計画出産については公然と教育しなくてはならず、これまた大鳴大放、大弁論でやるほかはない。人類は出産の面でまったく無政府状態にあり、自分で自分をコントロールすることができない。将来、完全な計画出産を実現しようとしても、もしも社会の力がなく、みんなが同意し、みんながいっしょにやるのでなければ、これはできない相談である。

このほかに、総合計画の問題がある。いまのべたのは農業計画であるが、まだ工業計画、商業計画、文化・教育計画がある。工業、農業、商業、文化・教育の総合計画はぜひとも必要であり、それらをまとめて互いにかみあわせるのである。

試験田をつくる経験は、普遍的におし広める価値がある。それは、県、区、郷、協同組合の指導的幹部がみな小面積の田畑を耕し、高い収穫をあげることができるかどうか、またどのような方法で高い収穫をあげるかを実験するのである。

われわれは、農業技術の素養がなくてはならない。農業をやるのに、技術を学ばなくてはもうだめである。政治と業務は対立面の統一であるが、政治は主要な側面、第一義的な側面であり、政治に無関心という傾向にはぜひとも反対しなくてはならない。だが、政治をやるだけで、技術がわからす、業務がわからないというのも、よろしくない。われわれの同志は、工業、農業、商業、文化・教育のどれをやるにしても、みな技術と業務をすこし学ばなくてはならない。これも十年の企画をたてる必要があるとおもう。われわれの各業種の幹部は、みな技術と業務に精通して、それぞれその道の玄人となり、「紅」でもあり「専」でもあるようにつとめなくてはならない。さきに「専」をめざし、「紅」はあとにするというのは、さきに白く、そのあとで赤くなるということであり、これは誤りである。こうした人は、実際には白いままでおし通そうとするのであり、あとで赤くなるというのは空言にすぎないからである。いま、一部の幹部は、赤いといっても赤くはなく、富農の思想になっている。一部の者は白く、たとえば党内の右派は政治的には白色であり、技術的にも「専」ではない。一部の者は灰色であり、さらに一部の者は桃色である。わが五星紅旗のようにほんとうに真っ赤なのは、左派である。しかし、「紅」であるだけではまだ不十分で、そのうえに業務がわかっており、技術もわかっていなくてはならない。いま、多くの幹部は「紅」であるだけで、「専」ではなく、業務も、技術もわかっていない。右派は、われわれが指導することはできない、つまり、「素人が玄人を指導することはできない」、と言っている。われわれは右派に反駁はんばくして、われわれは指導できる、と言った。われわれができるというのは、政治面ではできるということである。技術となると、われわれにはまだわからないところがたくさんある、だが、そうした技術は学びとることができるのである。

プロレタリア階級は、もしも自分じしんの強大な技術陣と理論陣がなければ、社会主義をきずきあげることができない。われわれはここ十年内に(科学計画も十二年で、あと十年ある)、プロレタリア知識分子の隊列をつくらなくてはならない。わが党の党員と党外の積極分子は、プロレタリア知識分子になるよう努力すべきである。各段階、とくに省、地区、県の三段階では、プロレタリア知識分子を養成する計画をたてなくてはならない。さもなければ、時が過ぎても、まだ人が育っていないということになる。中国には、「木を育てるには十年、人を育てるには百年」という古いことばがある。人材養成には百年というが、九十年へらして、十年で養成する。植樹には十年というのは間違いで、南部では二十五年、北部ではもっと長い時間がかかる。むしろ、十年で人材を養成することは可能である。もう八年過ぎたが、あと十年くわえて、十八年もあれば、マルクス主義の思想をもった、労働者階級の専門家の隊列を、ほぼつくりあげることができるとおもう。その後は、この隊列を拡大し、向上させていけばよい。

農業と工業との関係についていえば、もちろん、重工業を中心とし、重工業を優先的に発展させること、この点はまったく問題がなく、いささかもゆらぐことはない。だが、これを前提として、工業と農業を同時に発展させ、現代化した工業と現代化した農業を一歩一歩うち立てていくべきである。以前、われわれはよくわが国を工業国にきずきあげると言ったものだが、実をいうと、これには農業の現代化もふくまれている。いまは、農業の宣伝に重点をおくべきである。この問題については、鄧小平同志もふれている。

第四点、二つの方法について。事をはこぶには少なくとも二つの方法がある。一つはわりあい遅く、わりあいまずく目的を達成する方法であり、もう一つはわりあいはやく、わりあいよく目的を達成する方法である。どちらにも速度の問題、質の問題がふくまれている。一つの方法だけを考えるのではなく、いつも二つの方法を考えなくてはならない。たとえば、鉄道を敷設するにも、路線をきめるには、いくつかの案をつくって、そのなかから一つを選ぶようにしなくてはならない。数種の方法を比べてもよいが、少なくとも二つの方法は比べることである。たとえば、大鳴大放でいくか、それとも小鳴小放でいくか。大字報を使うか、それとも使わないか。この二つの方法のうち、いったい、どちらがよいのかを比べるのである。こうした問題はじつに多いが、ともかく、鳴放がやられていない。北京にある三十四の大学は、どれも鳴放がやられておらず、さわやかに鳴放をやってのけた大学は一つもない。それというのも、これは火をつけて身を焼く問題だからである。鳴放をさせるには、じゅうぶん説得しなくてはならず、しかもかなりの圧力をかけなくてはならない。つまり、公然と呼びかけ、多くの会議をひらき、王手をかけ、「追いつめられて梁山にのぼる」②ようにさせるのである。以前の革命では、あれこれの方法、あれこれの政策のどれを取るかについて、党内に異なった意見がたくさんあったが、けっきょく、わりあい実状に合った政策をとった。このため、抗日戦争と解放戦争の時期は、その前のいくつかの時期に比べて進歩したのである。建設の方針についても、あれこれ考えられるが、やはり、わりあい実状にあった方針をとらなくてはならない。

ソ連の建設の経験はわりあい全面的である。全面的とは、誤りを犯すことがふくまれているということである。誤りを犯さなければ、全面的とはいえない。ソ連に学ぶとは、なにもかも機械的に取りいれることではない。機械的に取りいれるのは教条主義である。われわれは教条主義を批判したあとで、ソ連に学ぶよう提唱した、だから危険はない。延安での整風および第七回党大会のあとで、われわれはソ連に学ぶよう強調したが、これはわれわれにとって損なことではなく、有利なことであった。革命の面では、われわれには経験がある。だが、建設の面では、まだ取りかかったばかりで、八年しかたっていない。われわれの建設は、成果が主要なものだが、誤りがなかったわけではない。誤りは将来も犯すだろうが、それを少なくしたいものである。われわれがソ連に学ぶばあい、その誤りを研究することも含まれていなくてはならない。その誤りの面を研究すれば、あまり回り道をしないですむ。われわれはソ連のたどった回り道を避けて、ソ連の速度よりもさらに速く、ソ連の質よりもさらによくするわけにはいかないだろうか。この可能性をかちとるべきである。たとえば、鋼鉄の生産高について、われわれは三つの五ヵ年計画またはもうすこし長い期間で、二千万トンに達することができるかどうか。努力をすれば、可能である。そのためには、小型の製鋼所を多くつくらなくてはならない。年産三万ないし五万トンの製鋼所、七万ないし八万トンの製鋼所はひじょうに役に立つので、多くつくるべきだとおもう。そのほか、年産三十万ないし四十万トンの中型の製鋼所もつくらなくてはならない。

第五点、昨年の一年間にいくつかのものが一掃された。その一つは、「多く、はやく、りっぱに、むだなく」というスローガンが一掃されてしまったことである。「多く」というのも、「はやく」というのもいらなくなり、「りっぱに」「むだなく」というのも、ついでに一掃されてしまった。「りっぱに」「むだなく」に反対する者はいないとおもうが、「多く」というのと、「はやく」というのとは、人びとが喜ばず、なかには「暴進」だと言う同志もいる。もともと、「りっぱに」「むだなく」というのは、「多く」「はやく」を制約するものである。「りっぱに」とは質がよいこと、「むだなく」とは金をあまり使わないこと、「多く」とは多くのことをやること、また、「はやく」というのも多くのことをやることである。このスローガンはそれ自身を制約している。「りっぱに」「むだなく」は、質もよければ、金もあまり使わないことを求めているため、実際とかけ離れた「多く」や実際とかけ離れた「はやく」はありえないからである。うれしいことには、この会議で一、二の同志がこの問題にふれている。それから、新聞でもこの問題を取りあげた文章を一つ見かけた。われわれのいう「多く、はやく、りっぱに、むだなく」は、実事求是の、実際に即したもので、主観主義的なものではない。われわれはつねにできるかぎり「多く」「はやく」やるよう努力しなければならず、ただ主観主義的な、「多く」「はやく」というのに反対しているだけである。昨年の後半には、一陣の風が吹いて、このスローガンを一掃してしまったが、わたしはそれを回復しようと思っている。その可能性があるかどうか、諸君に検討してもらいたい。

それから、農業発展要綱四十ヵ条も一掃されてしまった。この「四十ヵ条」は、昨年いらい、受けが悪くなったが、いままた「復活」した。

そのほか、促進委員会が一掃されてしまった。以前にも言ったことがあるが、共産党の中央委員会、各級党委員会、それに国務院、各級人民委員会など、とにかく「会」というものが実に多い。そのうち主要なものは党委員会だが、いったい、その性質は促進委員会なのか、それとも促退委員会なのか。促進委員会であるべきが当然である。わたしの見るところ、国民党は促退委員会で、共産党は促進委員会である。昨年のあの一陣の風によって一掃された促進委員会は、いま復活させてもよいのかどうか。もしも諸君が復活させるのに賛成せず、是が非でも促退委員会を組織しようとするなら、つまり、これほど多くの諸君が促退しようというのなら、わたしもお手あげである。しかし、こんどの会議からみると、諸君は促進しようとしており、促退を主張する演説は一つもなかった。われわれを促退させようとしているのは、例の右派の章・羅同盟である。たしかに進め方が速すぎ、不適当である一部のものについては、一時的、局部的な促退があってもかまわない。つまり、一歩ゆずり、一歩ゆるめるのである。しかし、われわれの全般的方針は、なんといっても促進することである。

第六点、プロレタリア階級とブルジョア階級との矛盾、社会主義の道と資本主義の道との矛盾、これは疑いもなく、当面のわが国社会の主要な矛盾である。われわれのいまの任務は、以前と違っている。以前は主として、プロレタリア階級が人民大衆を指導して帝国主義と封建主義に反対することであったが、その任務はすでになしとげられた。では、いまの主要な矛盾はなにか。いまは社会主義革命であって、この革命はブルジョア階級にほこ先を向けており、同時に小生産制度の変革、つまり協同化の実現をはかっている。その主要な矛盾は社会主義と資本主義、集団主義と個人主義、まとめていえば、社会主義と資本主義との二つの道の矛盾である。第八回党大会の決議には、この問題が提起されていなかった。この大会の決議には、主要な矛盾は先進的な社会主義制度と立ちおくれた社会的生産刀との矛盾であるというくだりがあった。このような提起のしかたは間違っている。われわれは七期二中総で、全国的な勝利のあと、国内の主要な矛盾は労働者階級とブルジョア階級との矛盾であり、対外的には中国と帝国主義との矛盾である、と提起したことがある。そのご、公式には提起しなかったが、実際にはそのようにやってきた。革命はすでに社会主義革命に転化しており、われわれが取りくんでいるのは、ほかでもなく社会主義革命というこの事業である。三大改造は社会主義革命であり、主として生産手段所有制の面における社会主義革命であるが、これはもう基本的にはなしとげられた。それは先鋭な階級闘争であった。

昨年の後半に階級闘争の緩和をみたが、それは意識的にすこし緩和させたのである。ところが、ちょっと緩和させると、ブルジョア階級、ブルジョア知識分子、地主、富農および一部の富裕中農がわれわれに攻撃をかけてきた。これがことしの出来事である。われわれがちょっと緩和させると、かれらは攻撃してくる。それもよかろう、われわれは主動権をとれる。『人民日報』の社説がのべているように、「木 静まるんと欲すれども風やまず」〔3〕である。かれらは風を吹かせてくるのだ。同級かの台風を吹かせてくる。それならよかろう、われわれは「防風林帯」をつくるまでだ。これが反右派であり、整風である。

整風には二つの任務がある。一つは反右派で、それにはブルジョア思想に反対することが含まれる。もう一つは整頓・改革で、それにも二つの路線の闘争が含まれる。ー主観主義、官僚主義、セクト主義はブルジョア階級のしろものである。わが党内にはこの三つのものが存在するが、その付けはブルジョア階級にまわすべきである。百年、二百年後も、そうすることができるだろうか。そのころになれば、たぶん、一そうするわけにはいかないだろう。そのころには、官僚主義、主観主義はあるかどうか。やはり、あるだろうが、その付けは立ちおくれという帳簿に付けるれる。社会には、つねに左派、中間派、右派があり、つねに先進的な者、中間的な者、立ちおくれた者がいる。そのときになって官僚主義、主観主義を犯せば、その人は立ちおくれているということになる。

整風運動は来年の五月一日までやるから、まだだいぶ時間がある。五月一日以後は、またすこし緩和させる必要があるだろうか。その必要はあるとおもう。緩和させることは右よりと言えるだろうか。右よりとは言えないとおもう。これを会議にたとえてみると、昼夜の別なく会議をひらき、たてつづけに半年もひらいたとすれば、大部分の人が姿を消してしまうだろう。したがって、仕事は状況にもとづいて、ときには緊張し、ときにはのびやかにやらなければならない。昨年、われわれはあれほど大きな勝利をおさめたため、人様が心服し、ドラや太鼓をうち鳴らした。そのとき、すこしも緩和させないとしたら、その理由は不十分で、言い訳が立たないのである。われわれは所有制の問題が基本的に解決されたとは言っているが、完全に解決されたとは言っていない。階級闘争はまだ消失していないのだ。だから、それは原則的な譲歩ではなく、状況の必要におうじてすこし緩和させたのである。

整風は来年の五月一日までやるが、来年の後半にはもうやらなくてもいいだろう。農村では、来年の後半に雑風と弁論をもういちどやるかどうか、これはそのときにその必要があるかどうかをみて、来年になってから討議する。再来年は一度やらなくてはならない。再来年もやらず、数年やらないとしたら、例のふるい右派、新しい右派、いま出てきている右派がうごめき出すだろうし、それに一部の右より中間分子、中間派、はては一部の左派までが変わってくるだろう。はの中には、こういうおかしな人間がいるのだ。気をゆるめさえすれば、それもかなりのあいだゆるめているうちに、右よりの空気がうまれ、よくない論議や右派的な言論が出てくる。われわれの軍隊でも、三六規律・八項注意についての教育はつねにやらなくてはならない。数ヵ月でもやらないでいると、もうたるんでくる。一年に何回か士気をふるいたたせなくてはならない。新兵が入隊してきたら、教育しなくてはならない。古参の兵士やふるい幹部にしても、整風をやらないかぎり、思想が変わってくる。

ここでついでに、われわれとソ連との意見の食い違いについてすこしのべてみよう。まず、スターリン問題でわれわれはフルシチョフと矛盾がある。かれはスターリンをあんなにこきおろしたが、われわれは賛成しない。あまりにもみにくい姿に仕立てあげてしまったからである。これはもうソ連一国の問題ではなく、各国の問題である。わが天安門の前にはスターリンの肖像がかかげてあるが、それは全世界の勤労人民の意志にかなうもので、われわれとフルシチョフとの基本的な食い違いをしめしている。スターリンその人にたいする評価も、七分、三分でなくてはならない。つまり、スターリンの功績は七分、誤りは三分と見るのである。これも正確とはかぎらず、誤りはわずか二分かもしれないし、わずか一分かもしれない、あるいはもうすこし多いのかもしれない。いずれにしても、スターリンは功績が主要なもので、欠点や誤りは副次的なものである。この点、われわれはフルシチョフと意見がちがう。

それから、平和移行の問題についても、われわれはフルシチョフらと意見がちがう。われわれは、どの国のプロレタリア政党であれ、一に平和、二に戦争というニヵ条がなくてはならない、と考える。第一に、共産党は、レーニンが二月革命から十月革命までの時期にうち出したスローガンに学び、支配階級に平和的転化を要求する。われわれも、蒋介石に和平交渉の問題を提起したことがある。このスローガンは、ブルジョア階級をまえにし、敵をまえにしては、防御的なスローガンであって、われわれが戦争を求めず、平和を求めていることをしめしており、大衆を獲得するのに都合がよい。これは主動的なスローガンであり、戦術的性格のスローガンである。しかし、ブルジョア階級はみずからすすんで権力をひき渡すはずがなく、暴力をつかうにきまっている。そこで、第二には、向こうが戦争をやろうとし、先に銃をぶっばなしてくるなら、こちらも応戦するよりほかはない。武力で権力を奪取する――これは戦略的スローガンである。是が非でも平和移行でいくというのなら、社会党と区別がつかない。日本社会党がそれで、かれらには、永遠に暴力をつかわないという一ヵ条しかない。全世界の社会党はみなそうである。総じて、プロレタリア政党には、やはり二ヵ条がなくてはならない。君子は口では争うが手は出さない、これが第一、だが第二に、小人が手を出すなら、こちらさまも手を出す、ということである。このような提起のしかたをすれば、弊害がなく、手抜かりがない。そうでなければ、だめである。いま一部の国の党、たとえばイギリス共産党は、平和移行のスローガンしか提起していない。われわれはイギリスの党の指導者と語りあったが、どうしても話が通じない。当然のことながら、かれらはおごり高ぶっており、平和移行がどうしてフルシチョフの提起と言えるのか、それは自分たちがとっくにうち出していたものだ、などと言っている。

このほか、百花斉放、百家争鳴の方針についても、ソ連の同志は理解していない。われわれがとなえているのは、社会主義の範囲内の、人民の内部での百花斉放、百家争鳴であって、反革命は含まれてはいない。もちろん、人民の内部も分化するものであって、一部の者は敵に変わる。たとえば右派のばあい、以前は人民であった。いま、この連中は人民の要素が三分の一、反革命の要素が三分の二と、わたしは見ている。かれらの選挙権を剥奪はくだつするかどうか。法律にもとづいて処罰し、労働改造をさせる必要があるごくわずかの者は、選挙権を剥奪すべきであるが、それ以外は一般に剥奪しないほうがよい。人によっては、政治協商会議の委員をやらせてもよい。いずれにせよ、政治協商会議は千人ぐらいあってもかまわないのだ。右派は、形式的にはまだ人民の内部にいるが、実際には敵である。かれらは社会主義に反対し、共産党の指導に反対し、プロレタリア階級独裁に反対しているのだから、かれらは敵であり、われわれとかれらとの矛盾は敵味方の矛盾である――われわれはこのことを公然と言明する。要するに、六ヵ条の基準にあっていないのだ。それは毒草である。人民の内部には、いつでもいくらかは毒草が出てくるものである。

最後の点、気力をふるいおこし、骨身を削って学習すること。骨身を削るとは、一つには骨であり、一つには身であり、一つには削ることである。かならず気力をふるいおこし、骨身を削らなくてはならない。いま、われわれの多くの同志は骨身を削っていない。一部の同志は、仕事以外のあまった精力を主としてトランプ、マージャン、ダンスといったものにそそいでいるが、これではよくないとおもう。仕草以外のあまった精力は上として学習にそそぎ、学習の習慣をつけるべきである。では、なにを学習するのか。一つはマルクス・レーニン主義、もう一つは、技術科学、さらにもう一つは自然科学である。それから文学、主として文芸理論も、指導的幹部はすこしわかっているべきである。そのほか、新聞学、教育学など、こうした学問もすこしはわかっていなくてはならない。要するに、学問はひじょうに多いのだ、そのあらましをすこしは心得ておかなくてはならない。われわれはこれらの事を指導しなくてはならないからである。われわれのような者のことをなに「家か」というのか。政治家というのである。これらのことがわかりもせず、指導もしないということが、どうして許されるだろうか。どの省にも新聞はあるが、以前はその指導に力をいれなかった。また文芸雑誌や文芸団体もあるが、以前はやはりその指導に力をいれなかった。それから、統一戦線や民主政党の指導にも力をいれなかったし、教育の指導にも力をいれなかった。これらの指導に力をいれなかったので、その結果はどうか、まさにこれらの分野で造反がおきたのである。ところが、いったんその指導に力をいれると、数ヵ月で事態は一変した。羅隆基は、プロレタリア階級の小知識分子がどうして小ブルジョア階級の大知識分子を指導できるか、と言った。かれのこの言い草は間違っている。かれは小ブルジョア階級だと自称しているが、実はブルジョア階級である。プロレタリア階級の「小知識分子」こそが、ブルジョア階級の大知識分子を指導するのだ。プロレタリア階級には、それに奉仕する一群の知識分子がいる。その最初の一人がマルクス、次がエンゲルス、レーニン、スターリン、その次がわれわれのような者で、このほかにもまだ多くの人がいる。プロレタリア階級はもっとも先進的な階級で、全世界の革命を指導するのである。

注

〔1〕 土地改革、抗米援朝、反革命粛清、「三反」「五反」、思想改造の五大運動をさす。

〔2〕 本書第四巻の『軍隊内の民主運動』注〔1〕にみられる。

〔3〕 前漢韓嬰の著書『韓詩外伝』巻九にみられる。

訳注

① 農業、手工業、資本主義工商業の社会主義的改造をさす。

② 山東省の梁山泊は宋代農民蜂起軍の根拠地。『水滸伝』に出てくる大小首領の大部分は、宮府や豪紳の圧迫を受けて、生きる道を失い、梁山に身を投じた人たちである。後世、「近いつめられて梁山にのぼる」というのは、一つの成語になり、四囲の情勢にせまられて事をおこなうことを意味するようになった。

著者
毛沢東
原著
一九五七年十月九日(1957年)
底本
『毛沢東選集』第五巻、外文出版社(北京)、1977年。電子化テキスト: http://maoist.web.fc2.com/mao/maosen/5/maosen-5-text.lzh
掲載根拠
保護期間中(未公開)
備考
著者没年 1976。中国は死後50年(2027-01-01 満了)、日本は死後70年(2047-01-01 満了)。外文出版社の日本語訳は法人著作として別に保護される

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