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蔵書 › 毛沢東選集 第五巻 › 社会主義革命と社会主義建設の時期(一)

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ブルジョア右派の攻撃を撃退しよう

毛沢東 · 一九五七年七月九日

縦書きで読む毛沢東選集第五巻

ブルジョア右派の攻撃を撃退しよう

(一九五七年七月九日)

これは、毛沢東同志が上海での幹部会議でおこなった講話である。

さる三月、わたしはここで党内の一部の幹部と話をしたことがある。そのときから数えて、百日になる。この百日のあいだに、時局は大きく変わった。われわれがブルジョア右派と一戦を交えたので、人民の自覚は高まり、それもかなり大幅に高まった。当時、われわれはすでにこれらのことを予想していた。わたしはここでも話したことがあるが、人の批判がはじまると、つまり火が燃えだすと、熱くないはずはなかろう。だが、そこは頭の皮を厚くしてもちこたえなければならない。人間のこの部分を頭といい、頭には皮があって、頭皮という。頭皮を厚くしてもちこたえるとは、つまり人に批判されたら、頭の皮を厚くして耳をかたむける、ひとしきり聞いたあと、それに分析をくわえ、回答する、正しいものであれば受けいれるが、まちがっているものであれば批判をくわえる、ということである。

全世界にしろ、わが中国にしろ、多数の人はよい人である、ということを、われわれはつねに信じなければならない。多数の人というのは、五一パーセントの人ではなく、九〇パーセント以上の人のことである。わが国の六億の人口のうち、労働者、農民がわれわれの基本的な大衆である。共産党のなかでも、青年団のなかでも、民主政党のなかでも、学生と知識分子のなかでも、つねに多数の人はよい人である。かれらの心は、狡猾こうかつではなく、下心も抱かず、つねに善良で誠実である。この点は認めなければならない。これは運動のたびごとに立証されている。たとえば、こんどの運動における学生を例にとってみよう。北京大学には七千人あまりの学生がいるが、右派はわずか一、二、三パーセントにすぎない。一、二、三パーセントというのは、どういうことか。しばしば騒ぎをおこし、おさまりがつかないほど騒ぐかたくなな骨幹分子は、終始五十数人しかおらず、一パーセントにも満たない。ほかの一、二パーセントはかれらに喝采をおくり、かれらを支持する連中である。

火をつけて身を焼くのは、なまやさしいことではない。ここの一部の同志に、火を思いきってつけなかったことを後悔しているものがいると聞いたが、わたしから見れば、上海での火のつけ方はまあまあであった。ただ、多少不十分で、いささかもの足りない。早くからこんなけっこうなことと知っていたら、思いきって火をつけただろうに。毒草を伸びさせ、妖怪変化ようかいへんげを登場させればよいのだ、なにを恐れることがあろう。さる三月に、わたしは恐れるなと話したことがある。わが党内の一部の同志は、まさに天下大乱を恐れているのである。わたしに言わせれば、これらの同志は、誠心誠意、党と国につくしてはいるが、ただ大きな局面が目に入らず、大多数の人、すなわち九十数パーセントの人がよい人だというこどに思いをいたしたことがないのである。大衆を恐れてはならない、かれらはわれわれと共にあるのだ。かれらはわれわれをののしることはあっても、拳骨げんこつをくらわすようなことはしない。右派はごく少数にすぎず、さきほど例にあげた北京大学では、わずか一、二、三パーセントである。これは学生についていっているのである。教授、助教授についていうなら、様子がすこしちがって、右派は約一〇パーセントになろう。左派も一〇パーセントくらいいる。両者は伯仲している。中間派は約八〇パーセントを占めている。なにを恐れることがあろうか。われわれの一部の同志はすこしこわがり屋で、やれ家が倒れるの、天がくずれ落ちるの、と恐れている。昔から「杞人きじん、天を憂ふ」〔1〕といって、天がくずれ落ちるのを恐れるのは、かの河南人だけである。かれを除いて、天がくずれ落ちるのを恐れた人はこれまでいなかった。家についていうなら、この建物は倒れることはないとおもう。建てて間もないものが、どうしてそう簡単に倒れようか。

要するに、どこであろうと、九十数パーセントの人はわれわれの友人、同志なのだから、恐れる必要はない。どうして大衆を恐れるのか。大衆を恐れるのは、筋の通らない話だ。指導的人物とはどういう人間か。組長、班長、支部書記、学校の校長、党委員会書記などは、みな指導的人物であり、柯慶施同志もそうであり、わたしもその一人に数えられる。われわれのような人間はとにかくすこしは政治的資本をもっている。つまり人民のためにいくらか仕事をしてきた。いま、人びとは火をつけてわれわれを焼いているのであるが、その九〇パーセント以上は、われわれの同志が焼かれてよくなるように望んでいるのである。われわれのどの同志にも、なんらかの欠点がある。欠点のない人がどうしてありえようか。「人は聖賢にあらず、孰たれかよく過あやまち無からん」といっているように、どうしてもいくらかは誤ったことを話し、誤ったことをやる、つまり官僚主義といったような誤りを犯すものである。しかも、往々にして無意識のうちに犯すのである。

定期的に「火をつけ」なければならない。今後どうやればよいか。一年に一回焼くか、それとも三年に一回焼くか、諸君はどちらがよいとおもうか。わたしの見るところ、少なくとも閏年うるうどし、閏月がめぐってくるように、三年に一回、五年で二回、一つの五ヵ年計画の期間に少なくとも二回やるべきである。孫悟空は大上老君の八卦炉はっけろのなかで鍛えられてさらに強くなった。孫悟空はたいそう手ごわい人物ではないか。この「斉天大聖」と呼ばれているものでさえ、八卦炉のなかで焼かれなければならなかったのだ。われわれは鍛錬するというではないか。鍛とは鉄槌で打つこと、錬とは高炉で鉄を精錬し、平炉で鋼を精錬することである。鋼は精錬されたあと、うち鍛えなければならない。いまではスチームハンマーでうち鍛えている。それはものすごいものだ。人間も鍛錬しなければならない。一部の同志は、鍛錬に賛成するかと聞かれると、それには大賛成で、「わたしには欠点があるから、ぜひ鍛錬したいとおもっている」という。鍛錬する必要があると、だれもがいっている。ふだん鍛錬を口にするのは、たいへん気楽ではあるが、いざほんとうに鍛錬することになり、ほんとうにスチームハンマーでうち鍛える段になると、腰を抜かし、 逃げだしてしまう。こんどの運動はひとつの鍛錬にほかならない。一時期、天地が暗くなり、日月も光が失せた。二つの風が吹いてきたのだ。一つは大多数のよい人で、かれらは大字報をはり、共産党に欠点があり、たださなければならないといっている。もう一つはごく少数の右派で、かれらはわれわれを攻撃している。両者の進攻の方向は同じである。だが、多数の人の進攻のほうは当然のことであり、それは正しい。それはわれわれにとって一種の鍛錬である。右派の進攻も、われわれにとっては一種の鍛錬である。ほんとうに鍛錬されるという点でいえば、今回はやはり右派に感謝しなければならない。わが党にたいし、広範な大衆にたいし、労働者階級、農民、学生、および民主政党にたいして、右派はもっとも大きい教育をあたえてくれた。どの都市にもいくらか右派がおり、これらの右派はわれわれを打倒しようとしている。いまは、われわれがこれらの右派を包囲討伐しつつある。

われわれの革命は人民の革命であり、プロレタリア階級の指導する六億人民の革命であり、人民の事業である。民主主義革命は人民の事業であり、社会主義革命は人民の事業であり、社会主義建設は人民の事業である。それでは、社会主義革命と社会主義建設はよいものであるかどうか。成果があがっているかどうか。成果が主か、それとも誤りが主か。右派は人民の事業の成果を否定している。これが第一である。第二は、どちらの方向に向かって歩むかである。こちらに向かって歩むなら社会主義であり、あちらに向かって歩むなら資本主義である。右派は、この方向を逆転して、資本主義の道を歩もうとしているのである。第三は、社会主義をやるには、だれが指導するかである。プロレタリア階級が指導するのか、それともブルジョア階級が指導するのか。共産党が指導するのか、それともブルジョア右派どもが指導するのか。右派は、共産党の指導はいらない、といっている。わたしは、今回はひとつの大弁論、つまりこの三つの問題をめぐる大弁論であるとおもう。弁論してみるのはいいことだ。これらの問題についてまだ弁論したことはなかったのだ。

民主主義革命は長期にわたる弁論を経たものである。清朝末期から辛亥革命、袁世凱反対、北伐戦争、抗日戦争にいたるまで、いずれも弁論を経てきたものである。日本に抵抗すべきかどうか。ある一派は唯武器論者で、中国は鉄砲が足りないから、抵抗できない、といった。もう一派は、恐れることはない、人間が主であって、兵器は人間に及ばないから、やはり戦える、といった。それにつづく解放戦争も弁論を経ている。重慶での交渉も、重慶での旧政治協商会議も、南京での交渉も、弁論であった。蒋介石はわれわれの意見にも人民の意見にもいっさい耳をかさず、戦おうとした。戦った結果、かれは敗れた。したがって、あの民主主義革命は弁論を経たものであり、長期にわたる精神的準備を経たものであった。

社会主義革命は急速にやってきた。六、七年で、資本主義的所有制と小生産者の個人的所有制の社会主義的改造は基本的になしとげられた。だが、人間の改造は、すこしはおこなわれたが、まだまだ足りない。社会主義的改造には二つの面がある。一つは制度の改造であり、もう一つは人間の改造である。制度には、所有制だけではなく、権力機関、イデオロギーを主とする上部構造もふくまれる。たとえば新聞、これはイデオロギーの範疇はんちゅうに属している。ある者は、新聞には階級性がなく、新聞は階級闘争の道具ではない、といっている。こういう言い草はまちがっている。少なくとも帝国主義が消滅されるまでは、新聞をはじめさまざまなイデオロギー的なものは、みな階級関係を反映するものである。学校教育や文学芸術もイデオロギーであり、上部構造であり、階級性をもっている。自然科学は二つの面にわかれており、自然科学そのものについていうならば、階級性はないが、だれがそれを研究、利用するかという点では、階級性がある。大学で観念論がいちばん多いのは、一つは中国文学科、もう一つは歴史学科である。また、新聞をつくる人たちに、観念論がいちばん多い。諸君は社会科学にだけ観念論が多いと考えてはならない。自然科学にも観念論がたくさんある。自然科学をやる人たちの多くは、世界観が観念論的である。水はどういうもので構成されているのかということでは、かれらは唯物論者で、水は二種類の元素で構成されているといった現実の状況に即した態度で事をはこぶ。だが、社会をどのように改造するかということになると、かれらは観念論になる。われわれのいう整風は共産党を整頓してよくするためであるが、かれらのなかの一部の者は、共産党を消滅するのだといっている。今回は、こういう状況が暴露された。

右派が攻撃をかけてきたとき、われわれは、聞くだけで発言しないという政策をとった。数週間ものあいだ、頭の皮を厚くし、耳をそばだてて聞くばかりで、一言もいわなかった。しかも、そのことを青年団員にも共産党員にも支部書記にも支部委員会にも知らせず、かれらを入り乱れて戦うようにさせ、めいめいに考えをさめさせた。学校の党委員会や総支部にも一部の敵がまぎれこんでおり、現に、清華大学党委員会の委員のなかには敵がいた。こちらが会議をひらくと、かれはすぐ敵側に知らせた。これを「蜂起分子」という。蜂起将軍というのがいたではないか。いまのは「蜂起文人」である。このことには、敵と味方の両方が喜んだ。敵側からすれば、共産党員が「蜂起」し、共産党が「崩壊」しようとしているのを見て、とても喜んだのである。今回はどのくらい崩壊したか。上海はいざ知らず、北京の学校の党員はおよそ五パーセント崩壊し、青年団員はもうすこし多く、一〇パーセント、あるいはそれよりすこし多く崩壊したかもしれない。こうした崩壊は、至極当然というものだ。一〇パーセント、二〇パーセント、二〇パーセント、あるいは四〇パーセントでもよい、要するに、崩壊したら、わたしはたいへんうれしい。頭がブルジョア思想や観念論でこり固まっていて、共産党や青年団のなかにもぐりこんだ連中は、名目上は共産主義といっても、実際には共産主義に反対する者あるいは動揺分子なのである。したがって、われわれの側からしても、「蜂起」する者を見たら、やはりうれしいのである。これまで党の粛清、団の粛清をこれほど徹底的にやったためしがあるだろうか。連中が自分で出ていったので、われわれは粛清する必要がなくなったのである。しかし、いまや状況が変わり、逆転した。われわれが右派を包囲し、右派とつながりをもってはいるが右派でない多くの人が立ち上がって暴露すると、連中は「蜂起」しなくなった。いまでは右派の立場は苦しくなっており、その一部がこちら側へ蜂起している。さる三月、わたしがここで話をしたあと、わずか百日で、時局にこれほど大きな変化がおきたのである

こんどの反右派闘争の性質は、主として政治闘争である。階級闘争にはいろいろな形態があるが、こんどのは軍事闘争でも経済闘争でもなく、主として政治闘争である。思想闘争の要素があるかどうか。それはある。だが、おもな要素は政治闘争であるとわたしはおもう。思想闘争は主としてつぎの段階で、おだやかな微風細雨の方法でやらなければならない。共産党と青年団の整風は、思想闘争である。いままでより一歩高めて、真にマルクス主義を学ばなければならない。まごころこめて互いに助けあわなければならない。どういう欠点があるかというと、主観主義がすこしあるのではなかろうか。官僚主義がすこしあるのではなかろうか。われわれはこの数ヵ月のあいだ、まじめに頭で考え、すこしノートでもつくって、マルクス主義の水準、政治水準、思想水準を一歩高めなければならない。

右派にたいする反撃は、あと数十日、あるいはひと月ぐらいかかるかもしれない。右派の言論をこのように新聞に、今年一年載せ、来年一年載せ、再さ来年また一年載せるというように、いつまでも載せるとなると、それでは困る。右派の数は知れており、その言論をほとんど載せてしまったし、載せるものはそんなにあるわけではない。今後は、ああいう形で載せたり、こういう形で載せたり、あれば載せ、なければ載せない。七月はやはり右派にたいする反撃で緊迫する月だ、とおもう。右派は疾風暴雨が大好きで、おだやかな微風細雨の方法が大嫌いである。われわれのほうは微風細雨を提唱しているではないか。ところが、かれらは、微風細雨だと、梅雨つゆが毎日のように降って、稲の苗が腐り、飢饉になるから、疾風暴雨のほうがましだ、というのだ。諸君の上海には「烏からす、『昼』に鳴く」という文章を書いた者がいるではないか。あの「カラス」がこの議論をもち出したのである。かれらはさらに、共産党は公平でない、以前われわれをやっつけたときは疾風暴雨の方法をとったが、こんど自分自身をたたくときは微風細雨の方法をとっている、という。実際は、われわれが以前、胡適、梁漱溟批判をふくむ思想改造をやったとき、わが党内ではいずれも微風紬雨でやれという指示を出しているのである。世の中の事がらとは紆余うよ曲折しているものである。たとえば、道を歩くにしても、つねに曲がりくねって歩くものだ。諸君は莫干山にいったことがあるだろうか。登りも下りもつづらおりである。社会の運動は螺旋状を描きながら前進するものである。いまは、手をゆるめることなく右派をさらに摘発しなければならず、やはり疾風暴雨でやる。これは、かれらが疾風暴雨で襲ってきたからで、われわれがかれらに報復するようなものである。このときになって、右派ははじめて微風細雨のよいところがわかるのだ。溺れかかっているから、草一本でも見ればつかもうとする。黄浦江でいまにも溺死しようとしている人のように、たとえ一本のワラであろうと、それをつかもうとする。いまでは、例の「カラス」も微風細雨をひじょうに歓迎しているとおもう。いまは暴雨の季節だが、七月がすぎ、八月になれば微風細雨でやってもよい。というのは、そのときはもうあまり摘発するものがないからである。

右派はたいへんよい反面教師である。わが中国では、従来からそうであるように、正面教師もいれば、反面教師もいる。人間には正反両面の教育が必要である。日本帝国主義は、われわれにとって一番すぐれた反面教師であった。以前にはまた清朝政府あり、袁世凱あり、北洋軍閥あり、のちには蒋介石ありで、いずれもたいへんよい反面教師であった。共産党が正面教師になるだけでは足りず、かれらがいなかったら、中国人民は目ざめることができなかったであろう。いまもそうである。われわれの言っているいろいろなことを、かれらは聞かない。聞かないというが、どういう人が聞かないのだろうか。数多くの中間派の人びと、とりわけ右派が聞かないのである。中間派の人びとは半信半疑である。右派はまったく聞こうとしない。多くのことはかれらに話してあるのに、かれらはそれを聞かないで、別のことをやっている。たとえば、われわれは「団結――批判――団結」を主張しているが、かれらはどうしても聞かない。われわれは反革命粛清では成果が主であるといっているが、かれらはそれも聞かない。われわれは民主集中制が必要であり、プロレタリア階級の指導する人民民主主義独裁が必要であるといっているが、かれらはやはり聞かない。われわれは社会主義諸国および平和を愛する全世界の人民と団結する必要があるといっているが、かれらはそれも聞かない。要するに、これらのことはみな話したことがあるのに、かれらはそのいずれも聞かないのである。もう一つ、かれらがとくに聞こうとしないのは、毒草は取りのぞかなければならないということである。妖怪変化は、出てこさせておいて、これを展示する。展示すれば、妖怪変化はよくないから打倒しよう、とみんなが言うようになる。毒草は、伸びさせておいて、それを取りのぞく、取りのぞいたものは肥料にすることができる。これらのことは話したことがないだろうか。話したではないか。それでも毒草はやはり出てくる。農民は毎年のようにそれらの草に話しかけ、つまり一年に何回か取りのぞいているが、それらの草はぜんぜん聞こうとせず、やはり伸びてくる。一万年取りのぞいても、草はやはり伸びてくるし、一億年たってもやはり伸びてくる。右派は取りのぞかれるのを恐れない。なぜなら、わたしが話をしたときは、草を取りのぞかなければならないと言っただけで、実際にはやらなかったからである。しかもかれらは、自分は毒草ではなくて香り高い花であるから、取りのぞかれるべきではない、毒草とはわれわれのような者であって、これは取りのぞかれるべきである、と考えているからである。かれらこそ取りのぞかれるべきものであるということに、かれらは思いもおよばないのである。

いまはほかでもなく、わたしが上にのべた三つの問題について弁論している。社会主義革命が急速にやってきたので、過渡期における党の総路線はまだ十分に弁論されておらず、党内でも社会でも十分に弁論されていない。牛が草を食はむように、まずするすると呑みこんで胃袋におさめ、そのあとでゆっくりと反すうするというぐあいである。われわれは制度の面、すなわち、まず生産手段所有制の面で、つぎは政治制度にせよイデオロギーにせよ、上部構造の面で、社会主義革命をすすめたが、十分な弁論を展開しなかった。今回、新聞や座談会や大会や大字報を介したのは、弁論を展開させるためである。

大字報はよいものであって、きっと後世に伝えられていくとおもう。孔子の『論語』は伝えられてきたし、『五経』『十三経』も『ニ十四史』も伝えられてきた。この大字報が伝えられていかないことがあろうか。かならず伝えられていくとおもう。たとえば、将来、工場で整風をするとき、大字報が必要であるかどうか。大字報を利用したらよい、それも多ければ多いほどよいとおもう。大字報には階級性がなく、それは言語に階級性がないのと同様である。口語には階級性がない。われわれのような人間が演説するときは口語をつかうし、蒋介石も口語をつかう。いまでは、「学びて時にこれを習ならう、また説よろこばしからずや」「朋とも遠方より来たるあり、また楽しからずや」のような文語はつかわなくなった。プロレタリア階級は口語で話をするし、ブルジョア階級も口語で話をする。プロレタリア階級は大字報を利用できるし、ブルジョア階級も大字報を利用できる。われわれは、多数の人がプロレタリア階級の側に立っている、と信じている。だからこそ、大字報という道具は、プロレタリア階級に有利で、ブルジョア階級に不利なのである。一時期、つまり二、三週間、天地が暗くなり、日月も光が失せて、ブルジョア階級に有利であるかのようにみえた。われわれが頭の皮を厚くしてもちこたえると言ったのは、夜も眼れず、飯ものどを通らなかったあの二、三週間のことである。諸君は鍛錬を口にしているではないか。数週間眠れず、飯がのどを通らなくなる、それがつまり鍛錬である。なにも高炉のなかにおしこんで焼くというわけではない。

数多くの中間派の人びとがいささか動揺したが、これもよいことである。動揺することによって、かれらは経験をつんだ。中間派の特徴は動揺にほかならない。そうでなければ、なぜ中間派といえようか。こちらはプロレタリア階級、あちらはブルジョア階級、そのほかに多くの中間派がおり、両端は小さく中間が大きい。だが、中間派は結局のところよい人であり、かれらはプロレタリア階級の同盟軍である。ブルジョア階級も、同盟軍としてかれらを獲得しようとし、一時期かれらはそのようにもみえた。というのは、中間派もわれわれを批判したからである。しかし、その批判は善意のものであった。右派は、中間派がわれわれを批判したのを見て、攪乱かくらんにのりだした。諸君の上海では、王造時、陸詒ルーイー、陳仁炳チェンレンピン、彭文応だとか、それに呉茵ウーインなどといった右派の人物が出てきて攪乱した。右派が攪乱すると、中間派はどうしていいかわからなくなってきた。右派の始祖は章伯鈞、羅隆基、章乃器で、その発源地はいずれも北京である。北京というところは混乱すればするほどよく、とことんまで混乱するほどよい。これは一つの経験である。

いま大字報のことにふれたが、これは方法の問題であり、どういう形でたたかうかの問題である。大字報はたたかう武器の一つであって、小銃、ピストル、機関銃といった軽火器のようなものである。飛行機、大砲にあたるのはおそらく『文匯報』のたぐいであろう。『光明日報』もそうであり、ほかのいくつかの新聞もそうである。ある時期、共産党の機関紙も右派の言論を載せた。われわれは、右派の言論はすべてそのまま載せるように、という命令を出した。われわれはこういう方法や、その他のさまざまな方法を活用して、広範な大衆に正反両面の教育を受けさせたのである。たとえば『光明日報』『文匯報』の社員は、こんどひじょうに深い教育を受けた。かれらはこれまで、どういうものがプロレタリア階級の新聞で、どういうものがブルジョア階級の新聞であるのか、またどういうものが社会主義の新聞で、どういうものが資本主義の新聞であるのか、はっきりしなかった。一時期、かれらの右派指導者は新聞をブルジョア階級の新聞にしてしまった。これらの右派指導者はプロレタリア階級と社会主義を憎んでいる。かれらは学校をプロレタリア階級の方向へ導くのではなく、ブルジョア階級の方向へ導こうとした。

ブルジョア階級および旧社会から来た知識分子は、改造する必要があるかどうか。かれらは改造をたいへん恐れており、改造すると「劣等感」とでもいうものが生まれ、改造すればするほど、劣等感がますます強くなるという。このような言い方はまちがっている。改造すればするほど自尊心が強くなるというべきである。なぜなら、改造する必要があると自覚したからには、それは自尊心でなければならないのだ。だが、その人たちの「階級的自覚」はたいへん高く、自分自身は改造する必要がないと考え、逆にプロレタリア階級を改造しようとしているのである。かれらはブルジョア階級の姿に照らして世界を改造しようとし、プロレタリア階級はプロレタリア階級の姿に照らして、世界を改造しようとする。わたしから見れば、多数の人、つまり九〇パーセント以上の人が躊躇ちゅうちょ、思案、不本意、動揺といった過程を経て、結局は改造したいという方向にむかうことになるとおもう。改造すればするほど、その必要をおぼえるはずである。共産党でさえ改造しており、整風とは改造にほかならず、将来もやはり整風をしなければならない。こんどの整風を終えたるもうしないのだろうか。こんどの整風で官僚主義が一掃されるだろうか。二、三年もたてば、すっかり忘れてしまい、例の官僚主義はふたたびやってくる。人間には忘れっぽいという欠点がある。だから、ある期間がすぎると整風しなければならない。共産党でさえ整風を必要としているのに、ブルジョア階級および旧社会から来た知識分子は整風を必要としないのか、改造を必要としないのか。かれらこそ、いっそう整風を必要とし、改造を必要とするのだ。

いま、各民主政党は整風をしているではないか。社会ぜんたいが整風をする必要がある。作風を整頓して、どこがわるいのか。しかも、爪の先みたいなことについて整頓するのではなく、大きな事がら、路線問題について整頓するのである。いま、民主政党の整風は重点を路線問題においており、ブルジョア右派の反革命路線をやっつけている。そのようにやるのは正しいとおもう。いま、共産党の整風の重点は、路線問題にはなく、作風問題にある。しかし、民主政党ではいま、作風問題は二の次で、主としてどの路線をおしすすめるかの問題にある。章伯鈞、羅隆基、章乃器、陳仁炳、彭文応、陸詒、孫大雨らの反革命路線をおしすすめるのか、それともほかの路線をおしすすめるのか。なによりもまずこの問題をはっきりさせなければならず、わたしの話したつぎの三つの問題をはっきりさせなければならない。つまり、社会主義革命と社会主義建設の成果、数億の人民のやった事は果たしてすばらしいかどうか、社会主義の道を歩むのか、それとも資本主義の道を歩むのか、社会主義をやるからには、どの政党がその指導にあたるべきか、章・羅同盟か、それとも共産党か、ということである。この問題でひとつ大弁論を展開し、路線問題をはっきりさせようではないか。

共産党にも路線問題があり、例の「蜂起分子」、共産党と青年団のなかの右派についていえば、これは路線問題なのである。現時点では、教条主義はまだ形成されていないから、路線問題ではない。わが党の歴史に、教条主義路線の問題が数回おきたのは、それが制度、政策、綱領を形成していたからである。現在の教条主義はまだ制度、政策、綱領を形成していないが、すこしこちこちのところがある。しかし、いまは鉄槌で打ち、火で焼いたので、いくらか柔らかくなっている。各機関、各学校、各工場の指導者は「二階から降りて」いる①ではないか。かれらはあの国民党作風や旦那気取りをすて、役人風や旦那風を吹かさなくなった。協同組合の主任は大衆といっしょに田畑を耕し、工場の責任者や党委員会の書記は職場へいって労働者といっしょに労働して、官僚主義がずいぶん少なくなった。このような整風は将来もしなければならない。大字報をはったり、座談会をひらいたりして、改めるべきもの、批判すべきものを、問題ごとに分けて解決しなければならない。もう一つは、いままでより一歩高めて、いくらかマルクス主義を学ぶことである。

中国人の大多数はよい人間であり、わが中華民族はりっぱな民族である、とわたしは信じている。われわれのこの民族はまことに道理をわきまえており、情熱にあふれ、聡明で勇敢である。わたしの希望するところは、集中と統一もあれば生きいきと活発でもあり、すなわち、集中もあれば民主もあり、規律もあれば自由もある、という局面をつくり出すことである。一方があるだけではなく、両方ともあるべきであり、規律と集中があるだけで、人の口をふさぎ、ものを言わせず、もともと正しくないものも批判させないというのではいけない。発言するよう提唱すべきであり、生きいきと活発でなければならない。およそ善意から批判的意見を出す人は、言う者に罪なしで、どんなに鋭くても、どんなにののしっても、罪に問われたり、やっつけられたり、小さい靴をはかせられたりすることはない。小さい靴をはくのはいい気持ちのするものではない。いまはどういう人に小さい靴をはかせるのか。いま、われわれは右派にはかせるのである。右派に小さい靴をはかせて少々窮屈な目にあわせるのは必要である。

大衆を恐れてはならず、「大衆と共にあるべきである。一部の同志は水を恐れるように大衆を恐れている。諸君は水泳をするだろうか。わたしはいたるところで水泳を提唱している。水とはすばらしいものである。毎日一時間、かかさず、きょうも明日もと習いさえすれば、百日で泳げること受け合いである。第一は先生を頼んではならず、第二は浮き袋をつかってはならない。浮き袋をつかうと、おぼえられない。「だけど、命が大切なんだよ。泳げないんだ。」それなら、最初は浅いところで泳いだらいい。百日でおぼえるというなら、浅いところでは三十日も習えばおぼえるだろう。おぼえてしまえば、長江でも、太平洋でも同じことで、要するに水は水である。プールなら溺れてもすぐひっばり上げられるから、死なないですむが、長江で泳いだらたいへんだ、流れがとても急で、溺れたら探しようがないではないか、と言う人がいる。こういう理屈で人をおどかすのである。わたしに言わせれば、これは素人しろうとのいうことだ。われわれの水泳健児、プールでの教員や教授は、もとは長江で泳ぐ勇気がなかったのが、いまではその勇気をもつようになっている。諸君のこの黄浦江でも、いまでは泳ぐ人がいるではないか。黄浦江、長江はまったく金のかかるないプールである。たとえて言うならば、人民は水のようなもの、各級の指導者は泳ぐ人のようなものであり、泳ぐ人は水から離れてはならず、それに逆らってはならず、沿うようにしなければならない。大衆をののしってはならない。大衆をののしることはできないのだ。労働者大衆、農民大衆、学生大衆、民主政党の大多数の成員、知識分子の多数をののしってはならず、大衆と対立してはならず、つねに大衆といっしょでなければならない。大衆も誤りを犯すかもしれない。かれらが誤りを犯したとき、われわれはよく道理を話してやり、よく話してやっても聞かなければ、しばらく待ち、機会があればまた話すようにする。だが、われわれは泳ぐとき水から離れないように、かれらから離れてはならない。劉備は諸葛孔明を得て、「魚の水を得たるがごとし」と言ったが、とれはたしかにあったことで、小説だけでなく、史書にも、魚と水の関係のようであったと書いてある。大衆が諸葛孔明であり、指導者が劉備である。一方は指導する人で、一方は指導される人である。

知恵はみな大衆のところからくるものである。わたしはかねてから、知識分子はいちばん知識がない、と言っている。これは端的に言ったまでの話だ。知識分子が威張ってしっぽを立てると、それは孫悟空のよりも長い。孫悟空は七十二たび変身して、ついにしっぽを旗ざおに変えたが、それは長いものであった。知識分子がしっぽを立てると、それこそたいへんだ。「わしは天下第一といえなくても、天下第二といえよう」。「労働者、農民がなんだ。あの無能な『阿斗』にすぎず、字もろくに読めはしない」。しかし、大局の問題は知識分子が決定するのではなく、最終的には勤労者が決定するのであり、しかもそのうちのもっとも先進的な部分であるプロレタリア階級が決定するのである。

プロレタリア階級がブルジョア階級を指導するのか、それともブルジョア階級がプロレタリア階級を指導するのか。プロレタリア階級が知識分子を指導するのか、それとも知識分子がプロレタリア階級を指導するのか。知識分子はプロレタリア階級の知識分子となるべきであり、ほかに活路はないのである。「皮これ存せざれば、毛将はたいづくに附かん」〔2〕。以前、知識分子という「毛」は五枚の「皮」にくっ付いていた。つまり五枚の皮にたよって飯を食ってきたのである。一枚目は帝国主義的所有制、二枚目は封建主義的所有制、三枚目は官僚資本主義的所有制である。民主主義革命は三つの大きな山をくつがえすのではなかったか。つまり、帝国主義、封建主義、官僚資本主義を打倒することであった。四枚目は民族資本主義的所有制、五枚目は小生産的所有制、すなわち農民と手工業者の個人的所有制である。以前の知識分子はまえの三枚の皮か、またはあとの二枚の皮に付いており、これらの皮にくっ付いて飯を食ってきたのである。いま、この五枚の皮はまだあるだろうか。「皮これ存せざる」ことになったのである。帝国主義は逃げてしまい、かれらの資産は全部取りもどされた。封建主義的所有制は廃絶されて、土地は農民のものとなり、そのうえ、いまは協同化された。官僚資本主義の企業は国有化された。民族資本主義工商業は公私合営が実行され、基本的には(まだ完全ではないが)社会主義的なものに変わった。腰民と手工業者の個人的所有制は集団的所有制に変わった。もっとも、この制度はいまなお強固ではなく、あと数年たたなければ強固にはならないだろう。この五枚の皮はもうなくなったが、それでもなお「毛」に影響し、資本家に影響し、知識分子に影響しているのである。かれらの班はいつでもそれをおぼえており、夢のなかでも忘れない。旧社会、旧軌道を経てきた人は、どうしてもああいう旧い生活、旧い習慣に木綿を残す。だから、人間の改造は、いっそう時間がかかるのである。

いま、知識分子はどのような皮に付いているのだろうか。共有制の皮に付いているのであり、プロレタリア階級に付いているのである。だれが飯を食わせているのか。労働者と農民にほかならない。知識分子は労働者階級と勤労者に招かれた先生であるが、かれらの子弟に教えるのに主人のいうことを聞かす、自分の考えどおりに八股文や孔子や資本主義といった類たぐいのものを教えて、一部の反革命分子を仕立てあげる。これでは、労働者階級は承知せず、きみをやめさせ、来年はもう招聘しなくなるだろう。

百日前、わたしはここで、旧社会から来た知識分子は、もう基礎がなくなり、もとの社会的経済的基礎を失った、つまりあの五枚の皮がなくなったのであるから、新しい皮に付くほかはない、と話したことがある。いま、一部の知識分子は宙ぶらりんの釣瓶つるべみたいな状態にある。かれらは空中を飛び、天にも至らず地にも着かず、である。わたしは、かれらを「梁上の君子」とよぶ。かれらは梁はりの上を飛んでおり、古巣へもどろうとするが、そこは空からっぽになっていて、つまりあの何枚かの皮がなくなっていて、もどれないのである。古巣がなくなったのに、それでも甘んじてプロレタリア階級に付こうとはしない。プロレタリア階級に付くには、プロレタリア階級の思想を研究し、すこしはプロレタリア階級にたいする感情を抱き、労働者、農民と友人にならなければならない。だが、かれらはそうしない。かれらももとのところが空っぽになったことを知っていながら、それでも未練を残している。われわれはいま、かれらに自覚するよう忠告しているのである。この大批判を経て、すこしは自覚するだろうとわたしはおもう。

中間状態にある知識分子は自覚すべきであり、しっぽをあまり高くあげてはならない。かれらの知識は限られたものである。わたしに言わせれば、こういう人は知識分子でもあれば知識分子でもなく、半知識分子と呼んだほうが比較的妥当である。なぜなら、この諸君の知識はそれしかなく、大きな道理を説くとすぐ誤りを犯すからである。いまは右派の知識分子にはふれない、かれらは反動派なのだ。中間状態にある知識分子の犯す誤りとは、動揺し、方向がはっきりせず、ある期間それを見失うことである。それほど知識があるとしたら、どうして誤りを犯すのだろう。見幕けんまくがそれほどすごく、しっぽをそれほど高くあげながら、なぜ動揺するのだろうか。まるで土塀の上に生えた草のように、風に吹かれれば、どちらにもなびく。かれらの知識のそれほどでもないことがわかろうというものだ。この面で、知識が多いのは労働者であり、農民のなかの半プロレタリア階級である。孫大雨の例のしろものなど、かれらは一目見れば、正しくないことがすぐわかる。いったい、どちらの知識がゆたかなのだろうか。やはりあまり字を読めない人のほうがゆたかなのだ。大局を決定し、大方向を決定するときは、プロレタリア階級に頼まなくてはならない。わたし自身、なにか事をはこび、なにか大計を立てるばあい、どうしても労農大衆に聞いてみなければ気がすまず、それが可能かどうか、かれらと話しあい、相談しあい、かれらと接触している幹部とも相談してみる、というような人間である。そうするには、各地をまわらなくてはならない。北京にだけ坐っていてはたいへんなことになる、北京はなにも出ないところなのだ。そこには原料がない。原料はみな労働者、農民のところからもってくるのであり、地方からもってくるのである。中国共産党中央はいわば加工工場のようなもので、これらの原料でものをつくるのである。しかも、うまくつくらなくてはならず、うまくつくらなければ誤りを犯す。知識の源泉は大衆にある。人民内部の矛盾を正しく解決するとはどういうことか。実際にもとづいて事をはこび、大衆路線をおしすすめることにほかならない。とどのつまり、大衆路線の四字につきる。大衆から遊離してはならず、われわれと大衆との関係は、魚と水との関係、泳ぐ人と水との関係のようなものである。

右派にたいしては、一撃のもとにたたきのめすべきかどうか。すこしたたいてやるのは必要なことだ。すこしたたかなければ、死んだふりをするであろう。こういう者を、攻撃もせず、追及もしないでいいだろうか。攻撃は必要だ。しかし、攻撃する目的は、かれらを改心させることにある。われわれがさまざまな方法で手がたく攻撃し、かれらを完全に孤立させるならば、かれらをこちら側にひきいれる可能性がうまれ、たとえ全部といわなくとも、とにかく一部の人はひきいれることができる。かれらは知識分子であり、その一部は高級知識分子であって、こちら側にひきいれたら、役に立つのである。かれらをこちら側にひきいれて、なにがしかの仕事をやらせる。しかも、今回かれらは、反面教師となり、反面から人民を教育して、大いに手助けしてくれたのである。われわれはかれらを黄浦江に放りこむつもりはない。やはり病をなおして人を救うという態度で臨んでいる。一部の者はこちら側に来たがらないかもしれない。孫大雨のような者が、もしひじょうにかたくなで、改めようとしないなら、それまでのことだ。いま、われわれにはやるべき事がたくさんある。もしも毎日のように攻撃し、五十年も攻撃していたら、それはたまったものではない。どうしても改めようとしない者は一部いるが、そういう者は誤りをたずさえて棺桶にはいり、閻魔えんま大王に会いに行けばよい。そして閻魔大王に、わたしは五枚の皮を擁護する者で、たいへん「気骨」があり、共産党や人民大衆がわたしを闘争にかけたが、それでも屈服せず、ずっと抵抗してきた、と言えばよい。だが、いまや閻魔大王も代替わりしたことを、知っているだろうか。この閻魔大王は、第一がマルクス、第二がエンゲルス、第三がレーニンである。いま、地獄は二つにわかれており、資本主義世界の閻魔大王はおそらく背のままであろうが、社会主義世界ではいま言った人たちが閻魔大王になっているのである。頑迷な右派は、百年たってもやっつけられるであろう。

注

〔1〕 『列子』―「天瑞篇」にみられる。

〔2〕 『左伝』―「僖公十四年」にみられる。

訳注

① 整風運動のなかで、誤りを犯した指導者が大衆の批判に耳をかたむけ、自己批判をおこなって、大衆の諒解をとりつけることをさす。

著者
毛沢東
原著
一九五七年七月九日(1957年)
底本
『毛沢東選集』第五巻、外文出版社(北京)、1977年。電子化テキスト: http://maoist.web.fc2.com/mao/maosen/5/maosen-5-text.lzh
掲載根拠
保護期間中(未公開)
備考
著者没年 1976。中国は死後50年(2027-01-01 満了)、日本は死後70年(2047-01-01 満了)。外文出版社の日本語訳は法人著作として別に保護される

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