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蔵書 › 毛沢東選集 第五巻 › 社会主義革命と社会主義建設の時期(一)

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十大関係について

毛沢東 · 一九五六年四月二十五日

縦書きで読む毛沢東選集第五巻

十大関係について

(一九五六年四月二十五月)

これは、毛沢東同志が中国共産党中央政治局拡大会議でおこなった講話である。毛沢東同志はこの講話のなかで、ソ連の経験をいましめとして、わが国の経験を総括し、社会主義革命と社会主義建設における十大関係について論じ、わが国の状況に適合した、多く、はやく、りっぱに、むだなく社会主義を建設するという総路線の基本思想を提起した。

ここ数ヵ月、中央政治局は、中央の工業、農業、運輸、商業、財政など三十四部門の活動報告を聴取したが、そのなかに、社会主義建設と社会主義的改造についての若干の問題を見いだした。総合するとみなで十の問題となる。つまり十大関係である。

ここに提起する十の問題はいずれも、国内国外のすべての積極的要素を動員して、社会主義の事業に役立たせるという、一つの基本方針をめぐるものである。かつてわれわれは、帝国主義、封建主義、官僚資本主義の支配を終わらせ、人民民主主義革命を勝利させるために、すべての積極的要素を動員するという方針を実行した。いまも、社会主義革命をおしすすめ、社会主義国を建設するために、同じようにこの方針を実行している。だが、われわれの活動のなかには、なお述べておかなければならないいくつかの問題がある。とくに注意に値するのは、最近ソ連で、社会主義建設の過程におけるいくつかの欠点や誤りがさらけだされたことである。かれらが歩んだまわり道を、なおも歩もうというのか。かつてわれわれは、かれらの経験と教訓を汲みとることで、あまりまわり道をせずにすんだ。いまは、なおさらそれをいましめとしなければならない。

国内国外の積極的要素とはなにか。国内では、労働者と農民が基本的な力である。中間勢力は獲得できる力である。反動勢力は一種の消極的要素であるが、われわれはやはりよく働きかけて、できるだけ消極的要素を積極的要素に変わらせるようにつとめるべきである。国際的には、団結できるすべての力と団結すべきであり、中立でないものを中立にさせ、反動的なものも分化させ、利用する。要するに、われわれはすべての直接的、間接的な力を動員して、わが国を強大な社会主義国にきずきあげるために、奮闘しなければならない。

以下、十の問題について述べてみよう。

一 重工業と軽工業、農業との関係

重工業はわが国の建設の重点である。生産手段の生産を優先的に発展させること、これはすでに決まったことである。だからといって、生活資料、とくに食糧の生産をおろそかにしてよいというわけではない。もし、十分な食糧とその他の生活必需品がなければ、だいいち労働者を養うことができず、どうして重工業の発展など語ることができよう。したがって、重工業と軽工業、農業との関係は、かならずうまく処理しなければならない。

重工業と軽工業、農業との関係を処理するうえで、われわれは原則的な誤りは犯さなかった。ソ連や一部の東ヨーロッパの国に比べると、われわれのほうがうまくいっている。ソ連で食糧の生産高が、長期にわたって革命前の最高水準に達することができなかったという問題、一部の東ヨーロッパの国で軽工業、重工業の発展がきわめてアンバランスなために生じた深刻な問題などは、われわれのところには存在しない。かれらは一面的に重工業を重視し、農業と軽工業を軽視したために、市場には物資が不足し、通貨は不安定である。われわれは、農業、軽工業を比較的重視してきた。われわれは一貫して農業に力をいれ、農業を発展させ、工業の発展に必要な食糧と原料をかなり保証してきた。われわれの日用品は比較的豊かであり、物価と通貨は安定している。

われわれの現在の問題は、重工業と農業、軽工業への投資の比率をさらに適切に調整し、農業と軽工業をいっそう発展させることである。こうすることは、重工業を主としないことだろうか。やはり主とするのであり、やはり投資の重点である。しかし、農業、軽工業への投資の比率はもう少しふやさなければならない。

では、ふやしたらどうなるか。その結果は、第一に、人民の生活面の需要をよりよく満たすことができ、第二に、資金の蓄積をいっそうはやめることができて、より多く、よりりっぱに重工業を発展させることができるようになる。重工業も資金を蓄積することができるが、われわれの現在の経済条件のもとでは、軽工業、農業のほうがより多く、よりはやく資金を蓄積することができる。

ここで一つの問題が出てくる。重工業の発展について、いったい本気で考えているのか、それともうわべだけで考えているのか、猛烈に考えているのか、それとも大して考えていないのか。もしうわべだけで考えているか、または大して考えていないのなら、農業、軽工業に打撃をあたえ、それへの投資を少なくすればよい。もし本気で考えているか、猛烈に考えているのなら、農業、軽工業を重視すべきであり、それによって食糧や軽工業の原料はふえ、蓄積はふえ、将来、重工業方面に投ずる資金もふえていくはずである。

いま、重工業を発展させるうえで、われわれがとることのできる方法が二つある。一つは、農業、軽工業を少なく発展させるやり方であり、一つは農業、軽工業を多く発展させるやり方である。長期的な観点からみると、前者のやり方は重工業の発展を少なくし、おそくすることになり、すくなくとも基礎はあまり堅固にならず、数十年後の総決算では勘定が引きあわなくなる。後者のやり方は重工業をより多く、よりはやく発展させることになり、しかも人民の生活面の需要が保証されるので、発展の基礎をいっそう堅固なものにすることができる。

二 沿海工業と内陸工業との関係

わが国の工業はこれまで沿海地方に集中していた。沿海地方というのは、遼寧、河北、北京、天津、河南東部、川東、安徽、江蘇、上海、浙江、福建、広東、広西のことである。わが国の軽工業と重工業はいずれも約七○パーセントが沿海地方にあり、内陸には三〇パーセントしかない。これは歴史的に形成された不合理な状況である。沿海地方の工業基地は十分に利用しなければならないが、しかし、工業分布のバランスをはかるためには、内陸工業を大いに発展させなければならない。この両者の関係の問題でも、われわれは大きな誤りを犯しはしなかった。ただ、最近の数年、沿海工業への評価に不十分なところがあり、その発展をあまり重視しなくなった。これは改めるべきである。

以前は、朝鮮でまだ戦争がおこなわれており、国際情勢がかなり緊張していたので、沿海工業にたいするわれわれの見方は、その影響をうけないわけにはいかなかった。現在、新たな中国侵略戦争と新たな世界大戦は、短期間には起こらないものと予想され、十年あるいはもうすこし長い平和の時期があるだろう。これでもなお、沿海工業の設備能力と技術力を十分に生かさないとしたら、それはまちがっている。十年とは言わず、五年としてみても、われわれは沿海地方で四年間工業をしっかりやるべきで、五年目に戦争が起こってから引っ越せばよい。手持ちの資料からみて、軽工業の工場建設と蓄積とは、一般的にはひじょうにはやく、全設備が稼動かどうしてから四年内には、工場の投資を回収できるばかりでなく、さらに、同規模の工場の三つ分、二つ分、一つ分、すくなくとも半分をかせぎ出すことができる。こんなに割のよいことをなぜやらないのか。原子爆弾がすでにわれわれの頭上にあり、数秒後には落ちてくる、といった情勢判断は事実に合致しないし、こうした見方から、沿海工業にたいして消極的な態度をとるのはまちがっている。

だからといって、新しい工場をぜんぶ沿海地方に建てるように、と言っているわけではない。新しい工業の大部分は内陸に配置すべきであり、これによって一歩一歩工業分布のバランスをはかり、しかも戦争への備えに役立たせる、これはすこしも疑う余地のないことである。しかし、沿海地方にもいくらか、新しい工場、鉱山を建設してもよく、そのなかの一部は大型のものであってもよい。沿海地方にもとからあった軽工業、重工業の拡張や改造については、これまでにも多少おこなわれてきたが、今後もひきつづき大いにおこなうべきである。

沿海工業のこれまでの基盤を十分に利用し発展させていけば、内陸工業を発展させ、支持するわれわれの力を増大させることができる。もし消極的な態度をとるなら、内陸工業の速やかな発展を妨げることになる。したがって、これまた内陸工業の発展を本気で考えているのか、うわべだけで考えているのかという問題になる。もし、本気で考えており、うわべだけで考えているのでなかったら、沿海工業、とくにその軽工業をもっとよく利用し発展させるべきである。

三 経済建設と国防建設との関係

国防は欠くことのできないものである。いま、われわれはある程度の国防力を持つようになった。抗米援朝と、数年にわたる整備・訓練の結果、われわれの軍隊は強化されて、第二次世界大戦前のソ連赤軍よりもいくらか強くなっており、装備も改善されている。われわれの国防工業は、目下建設中である。盤古の天地開闢かいびゃくいらい、われわれは飛行機をつくることも、自動車をつくることも知らなかったが、いまではつくれるようになった。

われわれはまだ原子爆弾を持っていない。しかし、以前には飛行機も大砲もなく、粟あわと小銃で日本帝国主義と蒋介石をうち負かしたのである。いま、われわれは以前よりも強くなっているが、今後はもっと強くなってゆき、飛行機や大砲をもっと持つだけでなく、原子爆弾も持たなければならない。こんにちの世界で、他人の侮りをうけたくなければ、これを持たないわけにはいかないのだ。それにはどうすればよいか。確実な道は、軍事・行政費を適切な比率に下げて、経済建設費をふやすことである。経済建設がいっそうはやいテンポで発展しないかぎり、国防建設はさらに大きな進歩をとげることはできないのである。

一九五〇年、われわれは、党の第七期中央委員会第三回総会ですでに、わが国の財政・経済状況を根本的に好転させる三条件の一つであると考えて、国家機構の簡素化、軍事・行政費の削減という問題を提起した。第一次五ヵ年計画の期間、軍事・行政費は国家予算の総支出の三〇パーセントを占めていた。この比重は大きすぎた。第二次五ヵ年計画の期間には、それを二〇パーセント前後にまで下げて、より多くの工場の建設とより多くの機械の製造にもっと多くの資金をまわせるようにすべきである。一定の時間を経たら、われわれは大量の飛行機、大砲を持つばかりでなく、われわれ自身の原子爆弾をも持つようになるだろう。

ここでもつぎのような問題が出てくる。原子爆弾を持ちたいと本気で考え、十分に考えているのか、それともいく分かは考えているが、十分には考えていないのか。もし本気で、十分に考えているのなら、軍事・行政費の比重を下げ、経済建設をもっとやるべきである。本気で、十分に考えているのでなければ、古いやり方を踏襲すればよい。これは戦略方針の問題であり、軍事委員会で討議するよう希望する。

いま、われわれは軍隊を全部きりすててもよいのか。それはよくない。まだ敵がおり、われわれはまだ敵の侮りと包囲をうけているからだ。われわれはかならず国防を強化しなければならない。それには、どうしてもまず経済建設を強化しなければならない。

四 国家、生産単位、生産者個人の関係

国家と工場、協同組合との関係、工場、協同組合と生産者個人との関係、この二つの関係はいずれもうまく処理しなければならない。そのためには、一方だけについて配慮するようなことがあってはならず、国家、集団、個人の三方についてあわせて配慮しなければならない。つまり、かつてわれわれがよく言った「軍民双方への配慮」「公私双方への配慮」である。ソ連とわれわれ自身の経験にかんがみ、今後、この問題はぜひともよりよく解決していかなければならない。

労働者についていうと、その労働生産性の向上にともない、かれらの労働条件と集団の福利も逐次改善していく必要がある。われわれは一貫して、刻苦奮闘すべきことをとなえ、個人の物質的利益を至上のものとする見方に反対してきた。同時にわれわれはまた、一貫して、大衆の生活に関心をよせるべきことをとなえ、大衆の苦楽に無関心な官僚主義に反対してきた。国民経済ぜんたいの発展にともない、賃金も適切に調整する必要がある。賃金については、いくらかふやすことを最近決定したが、上下の格差を縮小するため、おもに所得の低い者や労働者をその対象とした。われわれの賃金は一般に、まだ高くはない。だが、就業する人が多くなっていること、物価が安く、安定していること、さらにその他のいろいろな条件をくわえてみると、労働者の生活は過去に比べてやはりひじょうによくなっている。プロレタリア階級の政権のもとで、労働者の政治的自覚と労働意欲は一貫してひじょうに高い。去年の年末に、中央が右よりの保守主義に反対することを呼びかけると、労働者大衆は熱烈に支持し、三ヵ月間の奮闘の結果、前例を扱って、今年第一・四半期の計画を超過達成した。われわれは、かれらのこうした刻苦奮闘の精神を大いに発揚すべきであるが、かれらの労働および生活面のさし迫った問題の解決にも、もっと気をくばる必要がある。

ここで、統一的指導のもとにおける工場の自主性の問題についても話さなければならない。なにもかも中央または省・市に集中して、工場にはすこしの権限も、すこしの融通の余地も、すこしの利益をもあたえないのは妥当なやり方ではないだろう。いったい、中央、省・市、工場にはそれぞれどれだけの権限、利益をあたえたらよいのか、われわれは経験が足りず、まだ研究していかなければならない。原則的にいえば、統一性と自主性は対立面の統一であって、統一性も必要であり、自主性も必要である。たとえば、いま会議をひらいているのは統一性であるが、散会すれば、散歩する人あり、読書する人あり、食事をする人ありで、これは自主性である。もし、各人に散会後の自主性をあたえず、休まずにずっと会議をひろいたままにしていったらどうなるか、みんな死んでしまうではないか。個人についてもそうであるが、工場やその他の生産単位についても同様である。どの生産単位も、統一性と関連した自主性をもってはじめて、いっそう生きいきと発展することができる。

こんどは農民について述べてみよう。われわれと農民との関係は、一貫してうまくいっている。しかし、食糧の問題ではいちど誤りを犯したことがある。一九五四年、わが国の一部の地区が水害のため減産となったのに、われわれは食糧を七十億斤チンも多く買い付けた。そこで一方では生産減、一方では買付増となり、去年の春には、多くの地方で、ほとんどの人が食糧のことを口にし、ほとんどの農家が統一販売のことを話題にした。農民からは苦情が出、党内党外からも多くの苦情が出た。故意に誇張したり、機に乗じて攻撃したりする者も少なからずいたが、われわれにも欠点がなかったとはいえない。調査が足りず、実情がはっきりつかめず、七十億斤も多く買い付けてしまった、これが欠点である。われわれは、この欠点に気づいたので、一九五五年には買付量を七十億斤減らし、「三定」①つまり、生産量、買付量、販売量を規定するという措置をとった。そのうえ豊作でもあった。一方では買付減、一方では生産増となり、農民の手もとの食糧が二百億斤余り増加した。こうして、かつて苦情を訴えていた農民も「共産党はほんとうにすばらしい」というようになった。この教訓は全党が銘記しなければならない。

ソ連は農民をひどくしぼりあげるやり方をとっている。かれらは義務供出制〔1〕などのやり方で、農民の生産したものを多く取りすぎ、しかも支払い代金はひじょうに低くおさえている。かれらはこのやり方で資金を蓄積しているが、そのため、農民の生産意欲は大きな打撃を受けている。めんどりにタマゴはたくさん産んでもらいたいが、えさはあたえない、馬にしっかり走ってもらいたいが、まぐさはやらない。いったい世の中にこんな理屈があるだろうか。

農民にたいするわれわれの政策は、ソ連のあのような政策とは異なり、国家と農民双方の利益に配慮を加えている。われわれの農業税は、一貫してわりあいに軽かった。工業製品と農産物の交換には、われわれは、鋏状価格差の縮小、等価交換、または等価交換に近い政策をとっている。農産物の統一買付は、正常な価格でおこなわれているので、農民が損をするようなことはなく、しかも買付価格を逐次引き上げている。農民に工業製品を供給する面では、われわれは薄利多売、物価の安定または適切な引き下げの政策をとっており、食糧不足地区の農民に食糧を供給するばあい、一般に、多少の補給金をあたえている。しかしそれでも、よく気をつけないと、やはりあれこれの誤りを犯すようになる。ソ連がこの問題で重大な誤りを犯したことにかんがみ、われわれは、国家と農民との関係をうまく処理するよう、いっそう注意をはらわなければならない。

協同組合と農民との関係もうまく処理しなければならない。協同組合の収入のなかから、国家、協同組合、農民はそれぞれどれだけ取るのか、またどのような取り方をするのか、適切な規定がなければならない。協同組合の取る部分は、すべてが直接、農民のために使われるものである。生産費は言うにおよばず、管理費も必要経費であり、公共積立金は拡大再生産のためのもの、公益金は農民の福利のためのものである。だが、それぞれどれだけ占めるかについては、農民といっしょに検討して合理的な比率を決めるべきである。生産費も管理費も極力節減するようつとめなければならない。公共積立金、公益金も一定の規制が必要であり、よいことをなにもかも一年でやってしまおう、などと考えてはならない。

とくに大きな自然災害に見舞われたときを除いて、われわれは、かならず農業生産を増加させるという基礎のうえで、九〇パーセントの組合員の毎年の収入が前年度よりふえ、一〇パーセントの組合員の収入は現状を維持できるようつとめるべきである。もし収入が減るようなことがあったら、早急に解決策を講じなければならない。

要するに、国家と工場、国家と労働者、工場と労働者、国家と協同組合、国家と農民、協同組合と農民、これらいずれのばあいにも双方に配慮を加えるべきであって、一方だけのことを考えてはならない。どちらか一方だけのことを考えるのは、社会主義に不利であり、プロレタリア階級独裁に不利である。これは六億の人民にかかわる大問題であり、全党、全国人民に、くりかえし教育していかなければならない。

五 中央と地方との関係

中央と地方との関係もまた一つの矛盾である。この矛盾を解決するうえで、いま注意しなければならないことは、中央の統一的指導を強固にするという前提のもとで、地方の権限を少しく拡大し、地方にもっと多くの自主性をあたえ、地方にもっと多くの事をやらせるべきだ、ということである。これは、われわれが強大な社会主義国を建設するのに比較的有利である。われわれの国はこんなに大きく、人口はこんなに多く、状況はこんなにも複雑なので、中央と地方の二つの積極性があるほうが、一つの積極性しかないのより、はるかによい。ソ連のように、なにもかも中央に集中して、地方をがんじがらめにしぼりつけ、すこしの裁量権も持たせないといったやり方を、われわれはとってはならない。

中央は工業を発展させなければならないが、地方も工業を発展させなければならない。中央直属の工業といえども、地方の協力を得なければならない。農業や商業にいたっては、なおさら地方に依拠する必要がある。要するに、社会主義建設を発展させるためには、地方の積極性を発揮させなければならない。中央を強固にするには、地方の利益に気をくばらなければならない。

いま、数十本の手が地方に伸びていて、地方では仕事がやりにくくなっている。部を一つ設けたからには革命をやらねばならず、革命をやるからには命令を出さねばならぬ、というわけだ。だが各部は、省の党委員会、省の人民委員会に命令を出すわけにはいかないので、省・市の庁や局と直結し、毎日、庁や局に命令を出している。これらの命令は、党中央も、国務院も関知していないのに、みな中央から来たということで、地方への大きな圧力となっている。集計報告の多いこと、まさに洪水同然である。こうした状態は、かならず改めなければならない。

われわれは、地方と相談して仕事をする作風を提唱すべきである。党中央が事をはこぶときにはつねに地方と相談しており、地方と相談することなしに、軽がるしく命令を出すようなことはなかった。この面で中央各部がよく注意するよう希望する。およそ地方に関係のあることは、まず地方と相談し、相談がまとまってから命令を出すようにしてもらいたい。

中央の部門は二種類にわけるれる。一つは、その指導が直接に企業にまでおよぶもので、地方に設けられたその管理機構と企業は地方の監督を受ける。他の一つは、指導方針の提起、工作計画の策定を任務とするもので、実務のほうは地方にまかせ、地方に処理させなければならない。中央と地方との関係をうまく処理することは、われわれのような大きな国と大きな党にとって、きわめて重要な問題である。この問題については、一部の資本主義国でもひじょうに注意をはらっている。かれらの制度はわれわれの制度と根本的に異なっているが、その発展の経験は、やはりわれわれの研究に値する。われわれ自身の経験についていえば、建国初期に実施した大行政区の制度は、当時の必要から出たものではあったが、欠点もあった。のちの高崗・饒漱石反党同盟は、多少この欠点を利用したのである。その後、大行政区を廃止し、各省が中央に直属するよう決定した。これはこれで正しかった。だが、ここから地方の必要な自主性まで廃止するようになり、結果はあまりよいものでもなかった。われわれの憲法は、立法権は中央に属すると規定している。だが、中央の方針に違反しないという条件のもとで、状況と仕事の必要にそくして、地方でも規約、条例、規程などを定めてもよく、憲法はこれを拘束していない。われわれには統一も必要であり、特殊も必要である。強大な社会主義国をきずきあげるためには、中央の強力な統一的指導、全国の統一的計画と統一的規律がなければならず、こうした必要な統一を破壊するのは許されないことである。同時にまた、地方の積極性を十分に発揮させるべきで、各地にはそれぞれ地元の状況に適合した特殊なものがなければならない。この特殊とは、高崗のあの特殊ではなくて、全体の利益のため、全国の統一を強めるために必要な特殊である。

また、地方と地方との関係の問題がある。ここでいうのはおもに、地方における上級と下級との関係の問題である。省・市で中央の各部門にたいして意見があるが、では、地区、県、区、郷では省・市にたいして意見がないだろうか。中央は、省・市の積極性を発揮させるよう注意すべきであるが、省・市も地区、県、区、郷の積極性を発揮させるよう注意をはらうべきで、いずれも、あまりにきつくワクをはめてはならない。もちろん、下級の同志にたいしては、なにが統一事項に属し、勝手にやってはならないことなのか、言っておかなければならない。要するに、統一でき、しかも統一すべきものは統一しなければならず、統一できず、しかも統一すべきでないものは統一を強要してはならない。正当な自主性と正当な権利は、省・市、地区、県、区、郷のいずれもが持つべきであり、主張すべきものである。このような、国ぜんたいの利益から出発した権利の主張、本位主義的利益から出発したものではない権利の主張を、地方主義と言ったり、自主性をふりかざしてたてついていると言ったりすることはできない。

省・市と省・市とのあいだの関係も、地方と地方との関係の一種であり、これもうまく処理しなければならない。大局に気をくばり、助けあい譲りあうよう提唱すること、これがわれわれの一貫した原則である。

中央と地方、地方と地方の関係の問題を処理するうえで、われわれの経験はまだ浅く、まだ熟していない。みなが十分に研究、討議し、一時期ごとに経験を総括して、成果を拡大し欠点を克服するよう希望する。

六 漢族と少数民族との関係

漢族と少数民族との関係にたいするわれわれの政策は、比較的穏当なものであり、わりあい少数民族の賛同を得ている。われわれは主として、大漢民族主義に反対する。地方民族主義にも反対すべきであるが、一般的にいって、それは重点ではない。

わが国の少数民族は人数が少なく、占めている地域が広い。人口についていえば、漢族は九四パーセントを占め、圧倒的に優勢である。もし漢族の人たちが大漢民族主義をふりかざし、少数民族を差別するならば、それはきわめてよくないことである。では、土地はどちらのほうが広いか。土地は少数民族のほうが広く、五〇ないし六〇パーセントを占めている。中国は土地が広大で物産が豊富、そして人口が多い、というが、実際には「人口が多い」のは漢族、「土地が広大で、物産が豊富」なのは少数民族であって、すくなくとも地下資源については、少数民族のほうが「物産豊富」だろう。

各少数民族はいずれも中国の歴史に貢献があった。漢族は人口が多いが、これも長い期間にわたって、数多くの民族の混血によって形成されたものである。歴史上の反動支配者、おもには漢族の反動支配者が、かつて各民族のあいだにさまざまなみぞをつくり、少数民族をしいたげてきた。これによってもたらされた影響は、勤労人民のあいだでも、早急には消しがたい。したがって、幹部にたいしても、人民大衆にたいしても、プロレタリア階級の民族政策についての教育を広範に、持久的におしすすめ、かつ漢族と少数民族との関係をつねに点検するよう心がけるべきである。二年前にいちど点検したが、いま、もういちどやるべきである。もし、その関係が不正常なら、しんけんに正さねばならず、口先だけにとどまってはならない。

少数民族地域における経済管理体制と財政体制は、けっきょくどのようにすれば適切なのか、よく研究してみる必要がある。

われわれは誠心誠意、積極的に、少数民族の経済建設と文化建設の発展を援助しなければならない。ソ連では、ロシア民族と少数民族とがきわめて不正常な関係にあるが、われわれはこの教訓を汲みとるべきである。天上の空気、地上の森林、地下の資源、これらはすべて社会主義建設に必要な大事な要素であるが、あらゆる物的要素は、人という要素をつうじてのみ開発利用される。われわれは、漢族と少数民族との関係をうまく処理し、各民族間の団結をうち固めて、ともに偉大な社会主義祖国の建設につとめなければならない。

七 党と党外との関係

いったい、一つの党だけでよいのか、いくつかの党があるほうがよいのか。現在の考えでは、やはりいくつかの党があるほうがよいようだ。過去にそうであったばかりでなく、将来もそうであってよい。つまり、長期に共存し、相互に監督しあうということである。

わが国では、抗日、反蒋闘争のなかで形成された、民族ブルジョア階級とその知識分子を主体とする、数多くの民主政党が、いまもひきつづき存在している。この点、われわれはソ連とは異なっている。われわれは意識的に民主政党を残しておき、かれらに意見を発表する機会をあたえ、かれらにたいして団結もし闘争もするという方針をとってきた。われわれにたいして善意で意見を出す民主人士とは、すべて団結しなければならない。衛立煌ウェイリーホヮン、翁文[シ+景+頁]ウォンウェンハオなどのような愛国心のある、国民党の軍人や政治家については、われわれは、かれらの積極性をひきつづき発揮させていくべきである。竜雲、梁漱溟、彭一湖など、われわれを罵ののしるような連中でも、養っておき、罵らせておく。その罵ったことに道理がなければ反駁はんばくし、道理があれば受けいれる。こうしたやり方は、党にとって、人民にとって、社会主義にとって比較的有利である。

いま、中国にはまだ階級と階級闘争が存在している以上、さまざまな形の反対派があらわれないはずはない。すべての民主政党と無党派民主人士は、中国共産党の指導を受けいれることを表明しているが、かれらのなかの多くのものは、実際には、程度の差こそあれ、反対派なのである。「革命を最後まで遂行する」、抗米援朝、土地改革などの問題では、かれらはみな、反対でもあり、また反対でもなかった。反革命鎮圧にたいしては、かれらはいまでもまだ異議をとなえている。かれらは、共同綱領はまったくすばらしいなどといって、社会主義型の憲法をつくろうとしなかった。だがいったん憲法が起草されると、こんどはみな手をあげて賛成した。事物はしばしばその反面に転化するものだが、多くの問題にたいする民主政党の態度もこうしたものである。かれらは反対派でもあるし、反対派でもなく、しばしば反対から反対しないほうに移っていく。

共産党も民主政党もみな歴史的に発生したものである。およそ歴史的に発生したものは、歴史的に消滅する。したがって、共産党はいつかは消滅するし、民主政党もいつかは消滅する。消滅するのはそんなに不愉快なことだろうか。わたしは、たいへん愉快なことだと考える。共産党、プロレタリア階級独裁が不要なものになったときこそ、ほんとうにすばらしいとおもう。われわれの任務は、それらがはやく消滅するように促進することである。この道理については、これまでになんども述べてきた。

しかし、プロレタリア政党とプロレタリア階級独裁は、いまはどうしてもなくてはならないし、しかもひきつづき強めていかなくてはならない。さもないと、反革命を鎮圧することもできず、帝国主義に抵抗することもできず、社会主義を建設することもできず、建設したところで、それをうち固めることもできない。プロレタリア政党とプロレタリア階級独裁についてのレーニンの理論は、けっして一部の人のいうように「時代おくれ」にはなっていない。プロレタリア階級独裁は大きな強制的性格を持たないわけにはいかないのだ。しかし、官僚主義には反対し、機構の肥大化には反対しなければならない。わたしは、一に人が死なず、二に仕事が停頓しない、という条件のもとで、党と政府の機構を大いに簡素化し、三分の二をきりすてるよう提案する。

だからといって、党と政府の機構を簡素化することは、民主政党はいらないと言うことではない。みなが統一戦線の工作に力をいれて、かれらとわれわれとの関係を改善し、できるだけかれらの積極性を発揮させて社会主義に役立たせるよう希望する。

八 革命と反革命との関係

反革命とはどういう要素か。消極的要素、破壊的要素であり、積極的要素に反対する力である。反革命分子は転化できるだろうか。もちろん、骨の髄からの一部の反革命分子は転化できない。しかし、わが国の条件のもとでは、その大多数の者は、将来、程度の差こそあれ、転化をとげるであろう。われわれが正しい政策をとったので、現にかなりの反革命分子が、革命に反対しない者に改造されており、いくらか有益な仕事をした者もいる。

いくつか確認しておくべき点がある。

第一に、一九五一年と一九五二年のあのときの反革命鎮圧は必要なものであった、ということを確認しておくべきである。あのときの反革命鎮圧はやらなくてもよかった、といった意見がある。このような意見はまちがっている。

反革命分子にたいする措置としては、死刑、投獄、管制、放免がある。死刑がどういうものかは周知のとおりである。投獄とは、獄にいれて労働改造をさせること、管制とは、社会に置いておき、大衆の監督のもとに改造をさせること、放免とは、逮捕してもしなくてもよい者を、一般的には逮捕しないこと、あるいは逮捕のあと態度のよい者を釈放することである。それぞれの状況におうじて、反革命分子にそれそれちがった処置をとるのは、必要なことである。

ここでは死刑についてだけ述べる。あのときの反革命鎮圧で一部の者を処刑したが、それはどんな人間だったのか。それは人民大衆からひじょうに憎まれている、血の債務が山のようにある反革命分子であった。六億人民の大革命で、あの「東の大悪党」だの「西の大悪党」だのを処刑しなければ、人民は立ちあがれなかった。もし、あのときの鎮圧がなかったら、こんにちわれわれのとっている寛大な政策に人民大衆が賛成することはありえない。いま、スターリンが一部の者をまちがって処刑したと聞いて、われわれがあのとき反革命分子を処刑したのもまちがっていた、と言う人がいるが、これは正しくない。かつての処刑が根本的に正しかったと確認することは、いま現実的な意義をもっている。

第二に、まだ反革命分子はいるが、ずっと少なくなっている、ということを確認しておくべきである。胡風問題が発生したのち、反革命分子の摘発をおこなったのは必要なことであった。まだ摘発されていない者にたいしては、ひきつづき摘発していかねばならない。いまなお、少数の反革命分子がいることを確認すべきである。この連中はいまでもさまざまな反革命的破壊活動をやっている。たとえば牛を殺し、食糧を焼きはらい、工場を破壊し、情報を盗み、反動的ビラを張る、などがそれである。したがって、反革命分子はもう一掃された、枕を高くして眠れる、というのはまちがっている。中国と世界にまだ階級闘争があるかぎり、永久に警戒心をゆるめてはならない。だが、いまでも反革命分子がたくさんいる、というのもまちがっている。

第三に、今後、社会における反革命分子の鎮圧は、逮捕や死刑を少なくすることである。社会における反革命分子は、人民大衆の直接のうらみの的であり、大衆が骨の髄まで憎んでいるので、少数の者はやはり死刑にしなければならない。かれらの大多数については、農業協同組合にひき渡して、その管制のもとで生産に従事させ、労働改造をさせるべきである。しかし、われわれはまだ、ひとりも処刑しないと宣言することはできないし、死刑を廃止することはできない。

第四に、機関、学校、部隊における反革命分子の摘発は、延安ではじめたあの箇条を堅持すること、つまりひとりも殺さず、大部分を捕えずである。証拠の確実な反革命分子については、機関で摘発する。しかし、公安局は逮捕せず、検察機関は起訴せず、法院でも裁判にかけない。百人の反革命分子のうち、九十いく人かはこのように処理する。これがいわゆる大部分を捕えず、である。死刑についてはどうか。ひとりも死刑にしないのである。

どのような人間を死刑にしないのか。胡風、潘漢年、饒漱石のような者は死刑にせず、捕虜になった戦犯の宣統皇帝や康沢なども死刑にしない。死刑にしないのは、死刑とすべき罪がないからではなく、死刑にすると不利だからである。こうした人間をひとり死刑にすると、第二、第三の者もそれと比較され、けっきょく数多くの首がはねられてしまう、これがその一である。その二は、まちがって処刑してしまうことがおこる。歴史の証明するところによれば、地に落ちた首は、つなぎあわせることはできず、また、ニラとちがって、いちど切りとると、二度と伸びてこないので、もし切りまちがえたら、誤りを改めようとしても改めようがない。その三は、証拠が湮滅いんめつしてしまう。反革命分子の鎮圧には証拠が必要である。ひとりの反革命分子が他の反革命分子の生き証人ということはしばしばあり、事件が生じたらかれに教えを乞うことができる。そのかれを消滅してしまうと、もう証拠が見つからなくなるかもしれない。これは、反革命に有利となるだけで、革命には不利である。その四は、かれらを死刑にしたところで、一に生産を増加させることも、二に科学の水準を高めることも、三に四害退治に役立たせることも、四に国防を強大にすることも、五に台湾をとりもどすこともできるわけではない。かれらを死刑にすれば、捕虜を処刑したという名声を博するが、捕虜処刑の名声は由来かんばしくないものと決まっている。もう一つ、機関の反革命分子は社会の反革命分子とはちがう。社会の反革命分子は人民の頭上にのさばっているが、機関の反革命分子は人民とはいくらか隔たっており、普遍的なうらみは買っていても、直接的なうらみはあまり買っていない。この連中をひとりも死刑にしないからといって、なんの害があるだろうか。労働改造できる者は労働改造にいかせ、労働改造できない者は養っておけばよい。反革命分子は屑くずであり、害虫である。だがこちらがおさえてしまえば、人民のために何かやらせることもできる。

しかし、機関の反革命分子はひとりも死刑にしないという法律をつくる必要があるだろうか。これはわれわれの内部政策で、発表しなくてもよく、実際に、極力この方針に沿ってやればよいのだ。もし、だれかがこの部屋に爆弾を投げつけ、室内の者を全部、あるいは半数、または三分の一殺したとする。その犯人を死刑にすべきかどうか。それはもちろん死刑にしなければならない。

機関における反革命分子の粛清で、ひとりも死刑にしない方針を実行することは、われわれが反革命分子にたいして厳然たる態度でのぞむのを妨げるものではない。しかし、この方法によれば、取り返しのつかない誤りを犯さずにすむことが保証され、誤りを犯してもそれを改める機会が得られ、多くの人を安定させることができ、党内の同志間の相互不信を避けることができる。首をはねない以上、飯を食わせなければならない。すべての反革命分子にたいして、更生の機会が得られるよう生活の道をあたえるべきである。こうしたやり方は、人民の事業にとっても、国際的影響からみても有益である。

反革命分子鎮圧には、まだ骨の折れる仕事が必要であり、気をゆるめてはならない。今後は、社会の反革命分子をひきつづき鎮圧するほか、機関、学校、部隊にもぐりこんでいるすべての反革命分子をひきつづき摘発しなければならない。かならず、敵と味方のけじめをはっきりつけなければならない。もしも、敵をわれわれの陣営にもぐりこませ、はてはわれわれの指導機関にまでもぐりこませたならば、社会主義事業とプロレタリア階級独裁にどんなに重大な危険をもたらすか、これはだれの目にも明らかなことである。

九 是と非との関係

党内でも、党外でも、是と非をはっきりさせなければならない。誤りを犯した人にどう対処するかは、重要な問題である。正しい態度とは、誤りを犯した同志にたいして「前の誤りを後のいましめとし、病をなおして人を救う」という方針をとり、かれらが誤りを改めるよう援助し、かれらがひきつづき革命をやるのを許すことである。かつて、王明をかしらとする教条主義者が実権を握っていたとき、わが党はこの問題で誤りを犯し、スターリンの作風のよくない面をまねた。かれらは、社会では中間勢力をしめだし、党内では人が誤りを改めるのを許さず、革命をやるのを許さなかった。

『阿Q正伝』はすぐれた小説である。これを読んだことのある同志にはもういちど読むよう、読んだことのない同志にはよく読んでみるよう、すすめたい。魯迅はこの小説で、ひとりのおくれた、めざめていない農民を中心に描いている。魯迅はとくに「革命を許さない」という一章を書いて、ニセ毛唐は阿Qが革命するのを許さない、と述べている。その実、阿Qがそのとき考えていた革命とは、他の人と同じように、すこしばかり品物を手にいれることでしかなかった。だが、こんな革命でもニセ官唐は許さなかった。わたしの見るところ、この点では、一部の人は、どうもニセ毛唐によく似ているようだ。かれらは誤りを犯した人が革命するのを許さず、誤りを犯した者と反革命分子とのけじめをつけず、はては一部の誤りを犯した人をも殺してしまった。われわれはこの教訓を銘記しなければならない。社会において人が革命するのを許さないのも、党内において誤りを犯した同志がそれを改めるのを許さないのも、よくないことである。

誤りを犯した同志については、かれらが改めるかどうか観察する必要がある、と言う人がいる。わたしに言わせれば、観察するだけではだめで、かれらが改めるのを援助してやるべきである。つまり、一に観察し、二に援助することである。人間はだれしも援助が必要である。誤りを犯さなかった人にも援助が必要であるが、誤りを犯した人にはなおさら援助が必要である。およそ人間は、多かれ少なかれ誤りを犯すものであり、誤りを犯さない人間はおそらくいないだろう。誤りを犯せば援助が必要になる。ただ観察するだけでは消極的であり、さまざまな条件をつくって、誤りを改めるよう援助すべきである。是か非かは、かならずはっきりさせなければならない。なぜなら、党内における原則問題の論争は、社会の階級闘争が党内に反映したものであり、いいかげんにしておくことは許されないからである。誤りを犯した同志にたいして、状況におうじ、適度の、実際に即した批判、ばあいによっては必要な闘争をおこなうのは、正常なことであり、それはかれらが誤りを改めるよう援助するためである。誤りを犯した同志に援助をあたえないばかりか、人の災いを喜ぶ、これこそセクト主義である。

革命についていえば、なんといっても人が多いほうがよい。誤りを犯した人のうちで、誤りに固執し、いくら諭さとしても改めないごく少数の人を除けば、大多数は改めることができる。ちょうど腸チフスにかかると免疫になるようなもので、誤りを犯した人も、そこからよく教訓を汲みとりさえすれば、あまり誤りを犯さずにすむようになる。かえって、誤りを犯したことのない人のほうが、誤りを犯しやすい。なぜなら、このような人は、とかく、鼻高だかになりがちだからである。誤りを犯した人をせめすぎると、しばしばわが身にはねかえってくるものだということに注意しなければならない。もともと、高崗は石を持ちあげて人を打とうとしたのであるが、結果は自分自身を打倒してしまった。誤りを犯した人に善意をもってあたれば、人心を得ることができ、人と団結することができる。誤りを犯した同志にたいして、いったい、援助する態度をとるのか、敵視する態度をとるのか、これは、その人が善意なのか、悪意なのかを見わける基準となる。

「前の誤りを後のいましめとし、病をなおして人を救う」という方針は、全党を団結させる方針であり、われわれはこの方針を堅持しなければならない。

十 中国と外国との関係

外国に学ぼう、というスローガンをわれわれは提起したが、このスローガンは正しいとおもう。いま、一部の国の指導者は、このスローガンを提起したがらないか、提起する勇気さえない。これは多少勇気のいることであり、つまり、舞台で見得みえを切るようなまねをやめることである。

どの民族にもそれぞれの長所があることを認めるべきである。長所がなければ、どうして存在でき、どうして発展できるのだろうか。同時に、どの民族にもそれぞれの短所がある。社会主義はまったくたいしたもので、すこしの欠点もない、と思っている人がいる。そんなことがありえようか。かならずすぐれた点と欠点という二つの点があることを承認すべきである。わが党の支部書記、軍隊の中隊長、小隊長らはみな、自分の手帳にこう書きいれることを知っている――きょう、経験を総括すれば二つの点にわけられる、一つはすぐれた点、一つは欠点である、と。かれらはみな二つの点が存在していることを知っているのに、なぜわれわれは一つの点しか提起しないのか。一万年たっても二つの点は存在する。将来には将来の、現在には現在の、各人には各人の二つの点がある。要するに一つの点ではなくて、二つの点がある。一つの点しかないというのは、その一を知って二を知らざるものである。

われわれの方針は、すべての民族、すべての国の長所は学ぶべきであり、政治、経済、科学、技術、文学、芸術などの真にすぐれたものは、すべて学ぶべきであるということである。しかし、分析的、批判的に学ぶべきで、盲目的に学んではならず、なにもかも引きうつしたり、機械的に持ちこんだりしてはならない。かれらの短所や欠点は、もちろん学んではならない。

ソ連およびその他の社会主義国の経験にたいしても、こうした態度をとるべきである。かつて、われわれの一部の人びとは、このことがわからず、人の短所をも学んだ。学びとったあと、たいしたものだと得意になっているころには、向こうではもう不要なものとなっており、その結果つまずいてしまい、孫悟空のように、トンボ返りをうって元の木阿彌もくあみになったのである。たとえば以前、ソ連では映画部、文化局を設けているのに、われわれのほうでは文化部、映画局となっているのは、われわれが原則的な誤りを犯していることだ、と言う人がいた。ところが、意外なことに、ほどなくしてソ連でも文化部を設け、われわれと同じになった。どんな物事にも分析を加えず、完全に「風」むきしだいの人が一部にいる。きょう、北風が吹けば北風派になり、あす、西風が吹けば西風派になり、その後また北風が吹けば、また北風派になる。自分には定見がまったくなく、しばしば、極端から極端に走るのである。

ソ連で、かつてはスターリンを一万丈の高さにまで待ちあげていた人が、いまでは一挙にかれを地下九千丈にまでこき下ろしている。わが国にもその尻馬に乗っている者がいる。中央では、スターリンは誤り三分、功績七分で、総じてやはり偉大なマルクス主義者であると認め、この尺度から『プロレタリア階級独裁の歴史的経験について』の一文を書いた。三分、七分の評価は比較的適切である。スターリンは中国について、いくつかのまちがった事をやった。第二次国内革命戦争後期における王明の「左」翼冒険主義、抗日戦争初期における王明の右翼日和見主義は、いずれもスターリンのところからきたものである。解放戦争の時期には、はじめはわれわれに革命をやるのを許さず、もし内戦をやったら中華民族は壊滅するおそれがあるといった。戦争がはじまると、われわれにたいして半信半疑であった。戦争に勝つと、こんどはチトー式の勝利ではないかとわれわれを疑い、一九四九年、一九五〇年の二年間、われわれに大きな圧力をかけてきた。それでもわれわれは、スターリンは誤り三分、功績七分だとみているのである。これは公正な見方である。

社会科学、マルクス・レーニン主義について、スターリンの説いた正しい部分は、われわれはかならずひきつづきその学習につとめるべきである。われわれが学ぶのは、普遍的真理に属するもので、しかもかならず中国の実際と結びつけて学ばなければならない。もしマルクスのを含めて、一宇一句、そっくり持ちこんだら大へんなことになる。われわれの理論は、マルクス・レーニン主義の普遍的真理と中国革命の具体的実践との結合である。党内の一部の人たちは、ある時期に教条主義をやったことがあるが、当時、われわれはこれを批判した。しかし、いまでもまだある。学術界にしろ、経済界にしろ、いずれにもまだ教条主義がある。

自然科学の面では、われわれは比較的立ちおくれており、外国から学ぶようとくに努力しなければならない。しかし、これも批判的に学ぶべきで、盲目的に学んではならない。技術の面については、わたしの見るところ、大部分はひとまずそのとおりにやることである。なぜなら、いま、われわれのところにはまだそれがないし、よくわからないので、学んでおいたほうが有利だからである。しかし、すでにわかっている部分については、事ごとにそのとおりにやる必要はない。

外国ブルジョア階級のいっさいの腐敗した制度と思想、作風にたいしては、断固として拒否し、批判しなければならない。だが、このことは、われわれが資本主義国の先進的な科学技術と、企業管理方法のなかの科学的な面を学ぶのを妨げるものではない。工業の発達した国の企業は、所要人員が少なく、能率が高く、商売もうまい。われわれの仕事の改善に役立たせるために、原則をふまえたうえでこれらの事をよく学びとるべきである。いま、英語をやる人も英語を研究しなくなり、学術論文も英語、フランス語、ドイツ語、日本語に訳して相手と交換することをしなくなっている。これまた一種の偏見である。外国の科学、技術、文化を分析も加えずに一概に排斥するのと、さきに述べた、外国のものを分析も加えずに一概にそのまま持ちこむのとは、どちらもマルクス主義の態度ではなく、われわれの事業にとって不利である。

わたしは、中国には二つの欠点があり、それは同時に二つのすぐれた点でもあるとおもう。

第一に、わが国はかって帝国主義ではなく、植民地・半植民地であって、ずっとしいたげられてきたということである。工農業は発達しておらず、科学技術の水準は低く、そして土地が広大で物産が豊かなこと、人口が多いこと、歴史が長いこと、それに、文学の面で『紅楼夢』があることなどを除けば、多くの面で外国におよばず、いばれたものではなかった。しかし、一部の人は、長いあいだ奴隷だったので、何事も人に劣ると思いこみ、外国人の前で背筋を伸ばすことができなくなり、まるで『法門寺』の賈桂〔2〕と同じように、人に腰をかけろと言われても、立ちなれているからと言って腰をかけようとしないのである。この面では元気を出して、民族の自負心を強め、抗米援朝のときに提唱した「アメリカ帝国主義を蔑視べっし」するあの精神を発揚しなければならない。

第二に、われわれの革命は後発の革命だ、ということである。辛亥革命で皇帝を打倒したのは、ロシアよりも先だが、当時は共産党がなく、この革命は失敗した。人民革命の勝利は一九四九年で、ソ連の十月革命より三十数年おそかった。この点でも、われわれのいばってでる幕ではない。ソ連はわれわれとちがい、一にツァー・ロシアは帝国主義であり、二にのちになってさらに十月革命があった。それで、多くのソ連人はひじょうにいぱっており、鼻高だかとしているのである。

われわれのこの二つの欠点はすぐれた点でもある。わたしはつぎのように言ったことがある。われわれは一に「貧窮」、二に「空白」である、と。「貧窮」とは、工業がいくらもなく、農業も発達していないことである。「空白」とは、一枚の白紙で、文化水準も科学水準も低いことである。発展の観点からみれば、これは別に悪いことではない。貧窮であれば革命をやろうとするが、富裕であれば革命はやりにくい。科学技術水準の高い国は、ひじょうにおごり高ぶっている。われわれは一枚の白紙で、文字を書くのには好都合である。

したがって、この二つの点はどちらもわれわれにとって有益である。将来、われわれの国が富強になったときも、われわれはかならず、革命的立場を堅持し、謙虚でつつしみ深く、人に学ぶべきであり、鼻を高くしてはならない。第一次五ヵ年計画の期間だけではなく、数十の五ヵ年計画を経たのちにも、やはり人に学ぶべきである。一万年たっても学ぶのだ。それがどうして悪いだろう。

あわせて十の問題について述べた。この十種の関係は、いずれも矛盾である。世界は矛盾から成りたっている。矛盾がなければ、世界は存在しない。われわれの任務は、これらの矛盾を正しく処理することである。実践のなかでこれらの矛盾が完全にうまく処理できるかどうか、やはり二つの可能性にそなえなければならない。しかも、これらの矛盾を処理していく過程でも、かならずまた新しい矛盾、新しい問題に出あうはずである。しかし、われわれがよく言っているように、道はつねに曲がりくねっているが、前途はつねに明るい。われわれはかならず、党内党外、国内国外のあらゆる積極的な要素、直接的、間接的な積極的要素をぜんぶ動員し、わが国を強大な社会主義国にきずきあげるために努力しなければならない。

注

〔1〕 義務供出制とは、ソ連が一九三三年から一九五七年まで実施した、国家による農産物買付のおもなやり方である。コルホーズと個人経営農家は、毎年、同家の規定する義務供出の数量と価格にしたがって国家に農産物を提供することになっている。

〔2〕 賈桂は、京劇『法門寺』に出てくる明朝の宦官劉瑾の腹心である。

訳注

① 生産量、買付量、販売量を規定することで、一九五五年春から実施された措置である。生産量を規定するとは、平年作の単位面積当たり収量を基準にして生産量を算定することをさし、一九五五年から三年間は、増産であっても買付をふやさない。買付量を規定するとは、政府が余剰食糧保有農家から買い付ける余剰食糧の比率を固定すること。販売量を規定するとは、政府が食糧不足農家にあたえる食糧の供給量を規定すること。「三定」という措置は、農民の生産意欲を高めるためにとられたものである。

著者
毛沢東
原著
一九五六年四月二十五日(1956年)
底本
『毛沢東選集』第五巻、外文出版社(北京)、1977年。電子化テキスト: http://maoist.web.fc2.com/mao/maosen/5/maosen-5-text.lzh
掲載根拠
保護期間中(未公開)
備考
著者没年 1976。中国は死後50年(2027-01-01 満了)、日本は死後70年(2047-01-01 満了)。外文出版社の日本語訳は法人著作として別に保護される

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