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蔵書 › 毛沢東選集 第五巻 › 社会主義革命と社会主義建設の時期(一)

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農業の互助・協同化についての二回の談話

毛沢東 · 一九五三年十月、十一月

縦書きで読む毛沢東選集第五巻

農業の互助・協同化についての二回の談話

(一九五三年十月、十一月)

一九五三年十月二十六日から十一月五日まで、中国共産党中央は第三回農業互助・協同化会議を開催した。これは、毛沢東同志が会議のまえと会期中に、中国比庫党中央農村工作部の責任者とおこなった二回の談話である。

一 十月十五日の談話

農業生産協同組合をりっぱにつくれば、互助組の大きな発展をうながすことになる。

新解放区では、県の大中小を問わず、今冬から明春にかけて、十分な準備をしたうえで、協同組合を一つないし二つ、それも活動のよしあしにもとづくが、少なくとも一つ、一般には一つから二つ、多くとも三つ、りっぱにつくる必要がある。数をきめて、割り当てること。これが多ければ暴走となり、少なければ右よりとなる。あってもなくてもよい、というのでは、成りゆき次第におちいる。三つを越えてもよいかどうか。それは、条件にかない、規約や決議にかない、自由意思によるものであり、しっかりした指導的骨幹(たいせつなのは二点、公正であること、有能であること)があり、りっぱにつくれるかぎり、韓信が兵をひきいるのと同じく、多々ますます善よし①、である。

党の地区委員会と県委員会に責任をもたせて、全力であたらせ、かならずりっぱにやるせなければならない。党の中央局、省・市委員会の農村工作部は、これにしっかりと取りくみ、活動の重点をこの問題におかなければならない。

統制数字をきめて、割り当てるべきである。割り当てはするが強制はしない、これは命令主義ではない。十月に会議をひらいたあと、十一月、十二月、来年の一月、二月とあり、北方ではさらに三月があるから、時間的には四、五ヵ月もある。来年のはじめに会議をひらいて点検する。このことをいまからはっきり言っておく。遂行の状況がどうなっているのか、来年のはじめには点検をおこなう。

ごく少数の地方は、少数民族の地区でもあり、土地改革も完了していないので、実施しなくてもよい。仕事の状況がひじょうによくないごく一部の県、たとえば、おくれた郷が三〇パーセントから四〇パーセントも占め、県委員会書記が無力で、実施すると問題がおきるようなところは、数を割り当てずに、しばらく残しておいてもよいが、党の省委員会や地区委員会は、責任をもってそこの整頓活動を援助し、条件をととのえて、来年の秋の取入れかすんでから、冬には実行にうつさなければならない。

一般の法則では、互助組を経て協同組合にすすむのであるが、協同組合を直接つくることも、ためしにやらせてみてもよい。直線コースでもうまくいき、わりあい早くできるのなら、どうしてそれがいけないのか。いいではないか。

各級の農村工作部は、互助・協同化をきわめて重要な事業とみなすべきである。個人経営の農民では、増産にも限度があるので、ぜひとも互助・協同化を発展させなければならない。農村の陣地は、社会主義が占領しなければ、資本主義がかならず占領する。資本主義の道も歩まなければ、社会主義の道も歩まないなどといったことがありうるだろうか。資本主義の道でも、増産はできるが、時間が長くかかり、しかもそれは苦しみにみちた道である。われわれは資本主義をやらない、これはすでに決まったことである。もし社会主義をやらなければ、資本主義がかならず氾濫はんらんすることになる。

総路線、総綱領、工業化、社会主義的改造については、十月の会議で話そうとおもう。

「私有財産を確実に保護する」とか、「四大目由」②とかは、いずれも富農と富裕中農を利するものである。ではなぜ法律に書きこむのか。法律には私有財産を保護するとあるが、「確実に保護する」とは書いていない。いま、農民が土地を売っているが、これはよくない。法律では禁止していないが、われわれの活動によって、農民の土地売却をくいとめなければならない。その方法は協同組合をつくることである。互助組ではまだ農民の土地売却をくいとめることができず、協同組合、そして大協同組合ではじめてできることである。大脇同組合ならば、農民が土地の貸し出しをしなくてもすむようになる。一、二百世帯の大協同組合が寄る辺べのない孤独者の家庭を数戸いれて、その面倒を見てやれば、問題は解決されるのである。小協同組合でも、そのような家庭をいくらかいれることができるのではないか、検討してみる必要がある。互助組も寄る辺のない孤独者を援助すべきである。協同組合は、大規模なものをつくれなければ、中規模のをつくればよい。中規模のをつくれなければ、小規模のをつくればよい。しかし、中規模のをつくれるなら、中規模のをつくるべきであり、大規模のをつくれるなら、大規模のをつくるべきであって、大規模のをみると不愉快におもうようではいけない。一、二百世帯ともなれば大きいほうだが、三、四百世帯のものであってもかまわない。大協同組合の下に、小組合をいくつか設けるのら、一つの創造であり、かならずしも大協同組合を解散させなくてもよい。りっぱにつくるといっても、すべてがりっぱだということではない。いろいろな経験を汲みとらなければならず、どこもかしこも一つの規格で律してはならない。

旧解放区ではいくらか多く発展させるべきである。一部の新解放区では、旧解放区の一部の地区よりもはやく発展する可能性がある。たとえば、陝西省中部平原は陝西省北部よりもはやく発展するだろうし、成都盆地は阜平などのような地方よりもはやく発展するだろう。新解放区はおそいにきまっているという考え方をうち破らなければならない。東北地方は実際には旧解放区ではなく、東北地方の南部は山海関以南のおくれて解放された地方とは大差がない。江蘇、杭州・嘉興・湖州一帯は、山東、華北の山地のような旧解放区を追いこせるかもしれないし、また、追いこすのが当然である。新解放区はゆっくりでよいと、一般的にはこういってもよいが、しかし幹部がしっかりしていて、人口が稠密ちゅうみつで、地勢も平坦な一部の地方では、典型をいくつかつくりあげれば、わりあい速い速度でいちどに発展させることも可能である。

現在、華北には協同組合が六干あるが、これを二倍にするなら、割り当てる方法をとり、三倍にするなら、相談してきめていく。合理的に割り当て、統制数字をきめるべきであり、さもなければ、仕事にあたって見当がつかなくなる。東北では二倍か、二倍半か、あるいは三倍とし、華北でも同じようにすべきである。統制数字は、地方が超過達成できるように、あまり大きくする必要はない。超過達成すれば意欲が高まる。

協同組合を発展させるのにも、数が多く、質が高く、コストが低いというようにしなければならない。コストが低いというのは、不合格品を出さないことである。不合格品を出せば、農民の精力が浪費されて、たいへんわるい影響をあたえ、政治的に損失をこうむり、食糧の収量が減ることになる。終局的には食糧、綿花、甘蔗かんしゃ、野菜などの収量をふやさなければならない。食糧を多く生産できなければゆきづまり、国にとっても人民にとっても不利である。

都市の郊外では、野菜を多く生産しなければならない。野菜を多く生産できなければ、やはりゆきづまり、国にとっても人民にとっても不利である。都市の郊外では土地が肥えており、地勢も平坦で、そのうえ公有制になっているから、他にさきがけて大規模な協同組合をつくってもよい。もちろん、きめ細かにすすめなければならず、野菜は食糧とちがうので、なおさら粗雑な進め方ではいけない。典型をつくって試験をおこない、暴走してはならない。

都市への野菜の供給を、個人経営の農民が売りに出てくるのにたよっているようではだめである。生産の面で方法を考えるだけでなく、購買・販売協同組合も方法を考えなければならない。大都市の野菜の需要と供給にはいまきわめて大きな矛盾が存在している。

食糧、綿花の需要と供給にもきわめて大きな矛盾が存在しており、肉類、食用油の面でもやがてきわめて大きな矛盾があらわれるだろう。需要が大いにふえて、供給が追いつかなくなるだろう。

こうした需要と供給との矛盾を解決するという点から考えれば、所有制と生産力との矛盾の問題を解決しなければならない。個人所有制か、それとも集団所有制か。資本主義的所有制か、それとも社会主義的所有制か。個人所有制の生産関係は、大量の供給とは完全に衝突するものである。個人所有制は、集団所有制に移行し、社会主義に移行しなければならない。協同組合には土地を出資する形の低い段階のものもあり、土地を共有に、つまり協同組合の共有にする高い段階のものもある。

総路線は所有制の問題を解決することであるともいえる。国家所有制の拡大 国営企業の新設、改造、拡張をはかること。私的所有制には勤労人民のものとブルジョア階級のものと二種類あるが、それを集団所有制と国営(公私合営を経て社会主義に統一されていく)に改造すること。こうしてこそ、生産力が高められ、国の工業化がなしとげられるのである。生産力が発展してこそ、需要と供給との矛盾が解決されるのである。

二 十一月四日の談話

どういう仕事をするにも、かならず実際に即していなければならず、実際に即さないのは誤りである。実際に即するというのは、必要と可能に応ずることであり、可能とは、政治条件、経済条件、幹部の条件を含めていうのである。農業生産協同組合を発展させることは、現在、必要かつ可能なことであり、潜在力はきわめて大きい。それを掘りおこそうとしなければ、着実にして前進せずである。足はもともと歩くためのるので、立ったままいつまでも動こうとしないのは誤りである。条件がそろって設立された協同組合を、むりやり解散させるのは間違っており、どの年であろうと誤りである。「性急と暴走を是正せよ」というのは、なんといっても一陣の風であった。それが吹きおろすと、一部の吹き倒すべきでない農業生産協同組合まで吹き倒してしまった。誤って吹き倒したものは、見つけだしてはっきり説明をくわえ、誤りであったと認めるべきである。そうしなければ、その郷の幹部、積極分子は腹の虫がおさまらないだろう。

社会主義をやらなければならない。「私有を確実に保護する」というのはブルジョア階級の考え方である。「群居して終日、言義に及ばず、好んで小恵を行なう。難かたいかな」。「言義に及ばす」とは、話が社会主義のことには及ばず、社会主義をやらない、ということである。農業融資をやり、救済食糧を出し、比率におうじて徴税し、法によって減免し、小型水利施設を建設し、井戸や用水路をつくり、深耕・密植をおこない、合理的な施肥をおこない、畜力牽引の新式プラウ、水車、噴霧器、農薬をおしひろめることなど、これらはいずれもよいことである。だが、社会主義に依拠せず、たんに小農経済の基礎のうえにこういったことをやるのは、農民に小恵を行なうことである。これらのよいことを、総路線、社会主義と結びつけるならば、事の次第はちがって、小恵ではなくなる。かならず社会主義をやり、これらのよいことを社会主義に結びつけなければならない。「私有を確実に保護する」、「四大目由」にいたっては、なおさらのこと小恵であり、しかも、富農と富裕中農を恵むことになる。社会主義に依拠せず、小農経済からなにかひねり出そうと考え、個人経営経済という土台のうえに小恵を行ない、これによって、食糧を大幅に増産して、食糧問題の解決、 国の経済と人民の生活という大間題の解決を期待するのは、これこそ「難いかな」である。

昔のことばに、「大綱おおづなをつかめば、網の目はひらく」というのがある。大綱をつかんで、はじめて網の目はひらくのであり、大綱は主題である。社会主義と資本主義との矛盾、そしてこの矛盾を逐次解決していくこと、これが主題であり、大綱である。この大綱をつかめば、農民を援助する各種の政治工作、経済工作は、すべてその統帥のもとにおかれるわけである。

農業生産協同組合には、組合内、組合外ともに矛盾がある。現在の農業生産協同組合はまだ半社会主義のものであるが、組合外の個人経営の農民は完全に私有制であって、この両者のあいだには矛盾がある。互助組は農業生産協同組合と異なり、集団労働をおこなっているだけで、所有制には触れていない。現在の農業生産協同組合は、やはり私有制の基礎のうえにつくられたものであって、個人所有の土地、役畜、大型農具が組合に出資されているので、組合内にも社会主義的要素と私有制との矛盾があり、この矛盾を逐次解決していかなければならない。将来、いまのこうした半ば共有、半ば私有から集団所有制にすすめば、この矛盾は解決される。われわれがとっている段どりは着実で、社会主義の芽ほえである互助組から、半ば社会主義的な協同組合にすすみ、さらに完全に社会主義的な協同組合(やはり農業生産協同組合とよび、集団農場とはよばない)にすすむ。一般に、互助組は農業生産協同組合の基礎である。

一時期、互助・協同化にふれていない文書をいくつか見かけたので、わたしはどれにも、互助・協同化を発展させるとか、必要かつ実行可能な政治工作、経済工作をすすめるといったようなことばを書きくわえた。一部の人は、小農経済からなにかひねり出そうと考えているので、農民に干渉しすぎることにとくに反対する。当時、たしかに干渉をしすぎて、上級が「五多」をやり、それぞれの系統をつうじておろし、下部を混乱させるといった状況もあった。「五多」のよくないのは、どの年度でも同じである。たんに農村でよくないだけでなく、工場でも、軍隊でもよくない。中央はいくつか文書を出して、干渉しすぎることに反対したが、これは有益である。干渉しすぎるとは、どういうことなのか。必要と可能をかえりみず、実際に即さない、主観主義的な計画をたてたり、また計画は実際に即してはいるが、命令主義的なやり方をとったりすること、これが干渉のしすぎである。主観主義、命令主義は一万年後にもとるべきではない。それは、分散した小農経済にたいしてとるべきでないばかりか、協同組合にたいしてもとるべきではない。しかし、必要かつ可能なことであり、やり方も命令主義的でないものまで、干渉のしすぎとよぶわけにはいかない。仕事を点検する場合、これを基準とすべきである。主観主義的な、実際に即さないものは、すべて誤りである。命令主義で事をはこぶのは、すべて誤りである。着実にして前進せずであれば、右よりとなり、実際の可能性をこえて無理におこなえば、「左」よりとなる。これはいずれも主観主義である。暴走は誤りであるが、できることをやらないのも誤りであって、解散を強制するのはなおさら誤りである。

「農村は苦しく、あまり芳しくない。小農経済に即した措置がとられていない」。党内でも、党外でも、このような議論がきかれる。農村はいくらか苦しいが、これには当を得た分析が必要である。実際には、農村はそれほど苦しいわけではなく、食糧不足農家は一〇パーセント前後にすぎず、寄る辺のない孤独者で、労働力がなく、ひじょうに困っているのは、さらにその半数である。かれらには、互助組、協同組合が援助してやればよい。かれらの生活は国民党時代に比べれば、なんといってもはるかによくなっており、田畑を分配されているのだ。罹災者は苦しいが、これにも救済食糧を出している。一般の農民の生活はよく、向上しており、したがって八〇パーセントから九〇パーセントの農民が喜びにあふれ、政府を支持している。農村人口のうち、七パーセント前後の地主、富農が政府に不満である。「農村は苦しく、とてもたいへんだ」というが、わたしはこれまでこのような見方をしたことはない。一部の人は、農村が苦しいことにふれ、また農村がまとまりのないこと、つまり小農経済の分散性にもふれている。だが、分散性を語るばあい、それと同時に協同組合をつくることについて語ろうとはしない。個人経営経済にたいし社会主義的改造をくわえ、互助・協同化をすすめ、協同組合をつくることは、たんに方向であるばかりでなく、当面の任務でもある。

総路線の問題は、七月、八月にひらかれた財政・経済会議がなければ、多くの同志にとっては解決されなかった問題である。七月、八月の財政・経済会議は、おもにこの問題を解決することにあった。薄一波批判は、総路線からはずれたかれの誤りへの批判であった。総路線を一言に概括すれば、国の社会主義的工業化と農業、手工業、資本主義工商業にたいする社会主義的改造を逐次実現するということである。こんどの食糧の計画買付と計画供給の実施も、社会主義を大きく促進するものである。つづいて今回の互助・協同化会議がひらかれたが、これもまた大きな促進作用をはたすだろう。ことしは半年以上も互助・協同化運動を後退させてきたことを考えれば、今回の会議は積極的に出なければならない。しかし、政策ははっきり説明しなければならない。政策を説明することはひじょうに大切なことである。

「積極的に指導し、着実に発展させる」、このことばはたいへんよい。この半年あまりは、後退させてきたため、着実にして前進せずであったが、これではいささかまずい。しかし、よい面もある。戦争にたとえれば、ひといくさすんで、休養と整頓をしたうえ、第二の戦役をくりひろげるようなものである。問題は、一部の陣地ではやや後退しすぎ、あるところでは後退のしすぎということではなくて、もともと発展できたのに発展せず、発展を許されず、認可を得られず、非合法なものになってしまったという点にある。新しくうまれた、正しい事物が非合法であることは、この世界にしばしばあることである。われわれもかつては「非合法」であり、国民党が「合法」であったではないか。だが、これら非合法な協同組合が、がんばりとおして、りっぱに運営されているのに、それでも承認しないでいいものだろうか。やはり、それを合法的であると認めざるをえまい。それは勝利したのである。

会議では、積極的に指導し、着実に発展させることが語られたが、それでもまだ問題がいくらか出てくることを見とおしておかなければならない。口では積極的に、着実にと言っても、いざ実行するとなると指導が積極的でなかったり、発展が着実でなかったりすることはありうる。積極的に、着実にとは、統制数字をきめ、任務を割り当て、さらに完遂したかどうかを点検することである。完遂できるのに完遂しようとしないのはだめで、それは社会主義に不熱心なのである。調査したところ、いま減産し、あまりうまくいっていない協同組合が、五パーセントから一〇パーセントあり、これは積極的に指導しなかったことによるものである。もちろん、少数の協同組合がうまくいかず、減産するのは、避けられないことでもある。だが、二〇パーセント、はてはそれ以上の協同組合が減産だとすれば、これは問題である。

総路線とは、一歩一歩生産関係を改めていくことである。スターリンは、所有制こそ生産関係の基礎である〔1〕と言った。この点を同志たちははっきりさせておかなければならない。いまのところ、私有制も社会主義的共有制も、ともに合法的であるが、私有制は逐次合法的でないものに変わっていくのである。三畝ムーの土地で「私有を確実に保護し」、「四大自由」をおこなえば、その結果は少数の富農を発展させ、資本主義の道を歩むことになる。

県の幹部、区の幹部の仕事は、逐次、農業生産の互助・協同化という面にむけられ、社会主義という面にむけられなければならない。社会主義の仕事をしないで、なにをするのか、個人経営経済のために仕事をするとでもいうのか。県委員会書記と区委員会書記は、社会主義の仕事を重大な事業と見なさなければならない。かならず書記が責任を負わなければならず、中央の書記はわたしである。中央局書記、一省委員会書記、地区委員会書記、県委員会書記、区委員会書記、各級の書記がそれぞれ責任をもち、みずから取りくまなければならない。中央はいま、精力の七、八〇パーセントを農業の社会主義的改造の仕事にそそいでいる。資本主義工商業の改造も、社会主義をおこなうことである。各級の農村工作部の同志、会議に出席した人びとは、農業の社会主義的改造の専門家になり、理論がわかり、路線がわかり、政策がわかり、方法のわかった専門家にならなければならない。

都市の野菜の供給は、主として計画供給をおこなうべきである。大都市と新興都市は、人口が稠密である。野菜がなかったら困るではないか。この問題を解決しなければならない。都市の郊外に互助組をつくっても野菜の生産と供給の問題は解決しにくいので、互助組を経ずに、直接半ば社会主義的な協同組合、場合によっては完全に社会主義的な協同組合をつくってもよい。この問題を検討したらよいとおもう。

生産協同組合の発展計画がうちだされた。今冬と明春から来年秋の収穫期までに、三万二千あまりをふやし、一九五七年には七十万に達することになる。だが場合によっては一挙にふえて百万になり、あるいは百万にとどまらないかもしれない、ということを見とおしておくべきである。いずれにせよ、多くつくり、しかもりっぱなものにしなければならず、積極的に指導し、着実に発展させなければならない。

こんどの会議は成果があった。いまひらかずに来年の一月にひらくとしたら、もうおそすぎて、ことしの冬は無為にすごしてしまうところであった。来年三月二十六日にふたたび会議をひらいて、この計画の実施状況を点検する。こんどの会議では、つぎの会議の日取りをきめ、そのときに今回の会議の決議の実施状況を点検することをきめたが、このやり方はたいへんよい。来年の秋さらに会議をひらいて、来年の冬の任務を討議、決定する。

注

〔1〕 スターリンの『弁証法的唯物論と史的唯物論』を参照。

訳注

① 韓信は漢の高祖劉邦の武将である。『史記』の記載によれば、ある日劉邦から、あなたは兵をどのくらいひきいられるのかと問われた韓信は、多々ますます善しと答えた。

② 本書三二一ページを参照。

著者
毛沢東
原著
一九五三年十月、十一月(1953年)
底本
『毛沢東選集』第五巻、外文出版社(北京)、1977年。電子化テキスト: http://maoist.web.fc2.com/mao/maosen/5/maosen-5-text.lzh
掲載根拠
保護期間中(未公開)
備考
著者没年 1976。中国は死後50年(2027-01-01 満了)、日本は死後70年(2047-01-01 満了)。外文出版社の日本語訳は法人著作として別に保護される

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